冬の朝にふと苦しくなる理由、体重じゃなく心が重かったと気づいた瞬間の記録

冬太りの言い訳がもう尽きた朝
カーテンのすき間から入ってくる光が、冬の朝特有の「白っぽさ」をしていて、部屋の空気もまだ眠ったままみたいだった。暖房のタイマーが切れて、少しだけ冷えた床に足をつけた瞬間、足先が「起きたくない」と小さく抗議する。
私はそれを無視して、台所の蛇口をひねって、まずは水を一口。…と、いつもならここで「今日はちゃんとするぞ」みたいな気合いの言葉を心の中で唱えるのに、今朝は不思議なくらい何も出てこなかった。
昨夜のうちに用意しておいたはずの服に手を伸ばして、ハンガーから引き抜いて、ぼーっとしながら着替える。冬は着るものが多くて、身体の輪郭が見えにくいから、少し楽だ。
楽、というより、見ないで済む。ところが今朝は、たまたま選んだスカートのホックが、いつもよりほんの少しだけ渋かった。ほんの少し、なのに、指先がいちいち「わかってるよ」と言われているみたいで、私は息を止めた。
「寒いしさ」「年末年始あったし」「仕事忙しかったし」「だって冬って、そういう季節だし」
頭の中で、いつもの言い訳の棚卸しが始まる。…でも、今朝は棚が空っぽだった。
探しても探しても、うまくはまる言葉が見つからない。言い訳が尽きるって、こういう感じなんだ、と妙に冷静な自分がいた。
私は食べ物のことも運動のことも、今日は書かない。そういう話は、この世のどこかに山ほどあるし、私も過去に散々、読んで、保存して、結局やらないを繰り返してきた。
今朝の「冬太り」は、たぶん体の話というより、もっと別のところに積もったものの話だった。
1つだけ起きた小さな出来事:駅の鏡と、笑い方のズレ
家を出る直前、玄関の鏡で髪を整えて、マフラーを巻いて、私はいつも通りの顔を作った。できるだけ「ちゃんとしてる感」を出す顔。仕事に行く顔。何も問題ない顔。そういう顔って、慣れると勝手に出る。たぶん、私の大人スキルの中で、いちばん実用的なやつ。
駅に着いて、改札前の小さな鏡の横を通り過ぎようとしたとき、視界の端に自分の姿が入った。コートの前が少しだけ引っ張られていて、肩がほんのり丸い。私は反射的に、にこっと笑って誤魔化した。誰に向けた笑いかもわからないのに、「大丈夫だよ」って言うみたいに。
その瞬間、ふっと思った。「私、今、体のことじゃなくて、見られ方をごまかしてる」って。
誰にも言わなかった本音は、これだ。
太ったことが恥ずかしいんじゃなくて、“恥ずかしいと思ってる自分”がばれるのが嫌だった。
自分で書いてみると、ちょっと面倒くさい性格だなと思う。でも本当に、そうだった。私の中で起きていたのは、体型の変化への焦りではなくて、「焦ってないふり」をするクセの反射だった。
ささやかな違和感:言い訳って、体だけじゃなくて口の中にも溜まる
電車の中で、スマホを開いた。ニュースもSNSも、冬の話題でいっぱいで、みんながみんな、それぞれの暮らしをそれぞれのテンションで生きている。そこに私が混ざっていくのが、なんとなく疲れる朝もある。今朝はまさにそれで、画面を閉じて、窓の外のコンクリートを眺めた。
ふと、昨日の職場での会話が思い出された。
「すみません、確認が遅くて」
「すみません、バタバタしてて」
「すみません、昨日はちょっと…」
私、謝ってばっかりだな。というより、言い訳を先に置いてから話してる。何かを指摘される前に、先回りして自分に逃げ道を用意しておく癖。相手は別に責めてないのに、私だけが勝手に“責められる前提”で動いてる。
冬太りの言い訳が尽きた朝、私がいちばん見つめたのは、スカートのホックより、言い訳の出し入れの速さだった。自分の口の中に、いつの間にか“保険”が常備されているみたいで、それがちょっと気持ち悪かった。
「わかる…」って思う人がいるかわからないけど、私はたぶん、誰かに怒られてないのに、勝手に反省して、勝手に許されたいタイプだ。そういうタイプって、体の変化みたいな“見えるもの”が起きたときに、さらに言い訳を増やす。言い訳が増えると、妙に安心する。だけど安心のぶんだけ、自分の中のスペースが狭くなる。
すっきり美脚を目指すなら!【するるのうるおいる】今日だけの小さな気づき:言い訳をやめた瞬間、ちゃんと寂しくなる

会社に着いて、コートを脱いで、いつもの席に座った。デスクの引き出しを開けると、謎の付箋の束と、使ってないペンと、去年のいつかのイベントでもらったお菓子が出てきた。私はそれを眺めて、ちょっと笑ってしまった。引き出しの中まで冬太りしてる。
「忙しいから片づけられない」
「今度時間ができたら」
「もらったものだし捨てにくい」
ここにも言い訳がある。言い訳って、体の周りだけじゃなく、物にも、時間にも、感情にも、びっしり貼りつく。しかも、貼っている本人は、たいてい貼ってる自覚がない。
でも今朝は、スカートのホックが渋かったせいか、言い訳が出てこなかった。言い訳が出てこないと、どうなるか。想像より簡単に、ただ「寂しい」が出てきた。
冬の朝って、そもそも寂しい。空が低くて、空気が乾いてて、手の甲がすぐ赤くなる。誰かと一緒に暮らしている人の家にも、それぞれの冬の寂しさはあるんだろうけど、一人暮らしの冬は、寂しさが隠れる場所が少ない。冷蔵庫の開閉音も、洗濯機の終了音も、全部が“私だけの生活”の音で、たまにそれが、胸の奥に小さく響く。
私が言い訳を大量に抱えていたのは、たぶん、その寂しさに触れないためだった。体の変化も、仕事のミスも、部屋の散らかりも、本当は寂しさとは関係ないようで、関係ある。全部、「見ないで済む言葉」をかぶせておけば、心の底の“なんとなく”に触れずに済むから。
今朝、言い訳が尽きた瞬間、私はちゃんと寂しくなった。ちゃんと寂しくなった、って変だけど、でも、そこに変な安心もあった。寂しさって、薄めずに飲むと苦いけど、苦いってことは、ちゃんと味がするってことだから。
――ここから先、いつもとちょっと違う書き方をしてみる。
今朝の私は、冬太りの言い訳が尽きた。だから今日は、解決策を書かない。チェックリストも作らない。朝のルーティンも紹介しない。代わりに、言い訳が尽きたあとに残ったものを、そのまま机の上に置いてみる。
・駅の鏡で、にこっと笑って誤魔化したこと
・誤魔化したのは体じゃなくて、焦ってる自分だったこと
・言い訳が出ないと、寂しさが前に出てきたこと
こうやって並べると、ちょっと恥ずかしい。まるで自分の弱さのメモ帳だ。でも、今日はそれでいい気がした。いつもなら「まあ、冬だし」で終わらせるところを、終わらせない朝だったから。
昼休み、給湯室でお湯を沸かしていたら、隣にいた後輩が「最近、上司が怖くて…」と、ぽろっとこぼした。私は「わかるよ」と言いながら、内心で変な焦りを感じた。私も同じことで怖がっているのに、私は怖いって言わずに、もっと上手な言葉に変換してしまう。「忙しい」「準備不足」「確認します」…それっぽい言葉にするほど、感情がどんどん薄まって、最後には自分でも何が怖かったのか忘れる。言い訳って、外向けの鎧みたいで、着ると安心するけど、脱ぎ方がわからなくなる。
午後、同僚が「最近、寒いと甘いもの増えちゃうよね」と笑いながら話していて、私は「ほんとだよね」と笑った。笑いながら、心の中で思った。「私が増えたのは甘いものより、言い訳のほうかもしれない」って。もちろん口には出さない。こういう本音って、出すタイミングが難しい。出すと重いし、出さないと自分だけが置き去りになる。
帰り道、コンビニの窓に映った自分が、朝より少しだけちゃんとして見えた。たぶん、体が変わったわけじゃない。姿勢がほんの少し、まっすぐだった。言い訳が尽きた朝って、怖いけど、ちょっとだけ背筋が伸びるのかもしれない。逃げ道がないから、前を見るしかない、みたいな。
でも、私は“前向き”で終わらせたくない。背筋が伸びたからって、また明日には丸くなるかもしれないし、言い訳だって復活する。私の言い訳はしぶとい。コートの裏地みたいに、見えないところでずっと一緒にいる。
ただ、今朝ひとつだけ、確かに変わったことがある。
言い訳が尽きたときの空っぽさを、私は「失敗」と思わなかった。
空っぽって、怖い。だけど、空っぽだからこそ、何かが入る余地がある。私はその余地に、すぐに“改善”を詰め込みたくなるタイプだけど、今日は詰め込まなかった。寂しさがそこに座っているのを、追い払わなかった。
ねえ、読んでくれているあなたにも、言い訳が尽きる朝ってある?
体のことでも、仕事のことでも、人間関係でも、何でもいい。いつもなら口からすっと出てくるはずの「だって」が、出てこない朝。そういう朝に残るのって、案外、正しさじゃなくて、寂しさとか、怖さとか、変な沈黙とか、そういうものだったりしない?
今夜、私はスカートのホックを責めないで寝ようと思う。責めても何も変わらないし、責めることでまた言い訳が増える気がするから。増えた分だけ、自分の中が窮屈になるのは、もうちょっとだけ嫌だ。
冬太りの言い訳が尽きた朝。

尽きた言葉の代わりに、私の中に残ったのは、「じゃ冬太りの言い訳がもう尽きた朝
カーテンのすき間から入ってくる光が、冬の朝特有の「白っぽさ」をしていて、部屋の空気もまだ眠ったままみたいだった。暖房のタイマーが切れて、少しだけ冷えた床に足をつけた瞬間、足先が「起きたくない」と小さく抗議する。
私はそれを無視して、台所の蛇口をひねって、まずは水を一口。…と、いつもならここで「今日はちゃんとするぞ」みたいな気合いの言葉を心の中で唱えるのに、今朝は不思議なくらい何も出てこなかった。
昨夜のうちに用意しておいたはずの服に手を伸ばして、ハンガーから引き抜いて、ぼーっとしながら着替える。冬は着るものが多くて、身体の輪郭が見えにくいから、少し楽だ。
楽、というより、見ないで済む。ところが今朝は、たまたま選んだスカートのホックが、いつもよりほんの少しだけ渋かった。ほんの少し、なのに、指先がいちいち「わかってるよ」と言われているみたいで、私は息を止めた。
「寒いしさ」「年末年始あったし」「仕事忙しかったし」「だって冬って、そういう季節だし」
頭の中で、いつもの言い訳の棚卸しが始まる。…でも、今朝は棚が空っぽだった。
探しても探しても、うまくはまる言葉が見つからない。言い訳が尽きるって、こういう感じなんだ、と妙に冷静な自分がいた。
私は食べ物のことも運動のことも、今日は書かない。そういう話は、この世のどこかに山ほどあるし、私も過去に散々、読んで、保存して、結局やらないを繰り返してきた。今朝の「冬太り」は、たぶん体の話というより、もっと別のところに積もったものの話だった。
1つだけ起きた小さな出来事:駅の鏡と、笑い方のズレ
家を出る直前、玄関の鏡で髪を整えて、マフラーを巻いて、私はいつも通りの顔を作った。できるだけ「ちゃんとしてる感」を出す顔。仕事に行く顔。何も問題ない顔。そういう顔って、慣れると勝手に出る。たぶん、私の大人スキルの中で、いちばん実用的なやつ。
駅に着いて、改札前の小さな鏡の横を通り過ぎようとしたとき、視界の端に自分の姿が入った。コートの前が少しだけ引っ張られていて、肩がほんのり丸い。私は反射的に、にこっと笑って誤魔化した。誰に向けた笑いかもわからないのに、「大丈夫だよ」って言うみたいに。
その瞬間、ふっと思った。「私、今、体のことじゃなくて、見られ方をごまかしてる」って。
誰にも言わなかった本音は、これだ。
太ったことが恥ずかしいんじゃなくて、“恥ずかしいと思ってる自分”がばれるのが嫌だった。
自分で書いてみると、ちょっと面倒くさい性格だなと思う。でも本当に、そうだった。私の中で起きていたのは、体型の変化への焦りではなくて、「焦ってないふり」をするクセの反射だった。
ささやかな違和感:言い訳って、体だけじゃなくて口の中にも溜まる
電車の中で、スマホを開いた。ニュースもSNSも、冬の話題でいっぱいで、みんながみんな、それぞれの暮らしをそれぞれのテンションで生きている。そこに私が混ざっていくのが、なんとなく疲れる朝もある。今朝はまさにそれで、画面を閉じて、窓の外のコンクリートを眺めた。
ふと、昨日の職場での会話が思い出された。
「すみません、確認が遅くて」
「すみません、バタバタしてて」
「すみません、昨日はちょっと…」
私、謝ってばっかりだな。というより、言い訳を先に置いてから話してる。何かを指摘される前に、先回りして自分に逃げ道を用意しておく癖。相手は別に責めてないのに、私だけが勝手に“責められる前提”で動いてる。
冬太りの言い訳が尽きた朝、私がいちばん見つめたのは、スカートのホックより、言い訳の出し入れの速さだった。自分の口の中に、いつの間にか“保険”が常備されているみたいで、それがちょっと気持ち悪かった。
「わかる…」って思う人がいるかわからないけど、私はたぶん、誰かに怒られてないのに、勝手に反省して、勝手に許されたいタイプだ。そういうタイプって、体の変化みたいな“見えるもの”が起きたときに、さらに言い訳を増やす。言い訳が増えると、妙に安心する。だけど安心のぶんだけ、自分の中のスペースが狭くなる。
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会社に着いて、コートを脱いで、いつもの席に座った。デスクの引き出しを開けると、謎の付箋の束と、使ってないペンと、去年のいつかのイベントでもらったお菓子が出てきた。私はそれを眺めて、ちょっと笑ってしまった。引き出しの中まで冬太りしてる。
「忙しいから片づけられない」
「今度時間ができたら」
「もらったものだし捨てにくい」
ここにも言い訳がある。言い訳って、体の周りだけじゃなく、物にも、時間にも、感情にも、びっしり貼りつく。しかも、貼っている本人は、たいてい貼ってる自覚がない。
でも今朝は、スカートのホックが渋かったせいか、言い訳が出てこなかった。言い訳が出てこないと、どうなるか。想像より簡単に、ただ「寂しい」が出てきた。
冬の朝って、そもそも寂しい。空が低くて、空気が乾いてて、手の甲がすぐ赤くなる。誰かと一緒に暮らしている人の家にも、それぞれの冬の寂しさはあるんだろうけど、一人暮らしの冬は、寂しさが隠れる場所が少ない。冷蔵庫の開閉音も、洗濯機の終了音も、全部が“私だけの生活”の音で、たまにそれが、胸の奥に小さく響く。
私が言い訳を大量に抱えていたのは、たぶん、その寂しさに触れないためだった。体の変化も、仕事のミスも、部屋の散らかりも、本当は寂しさとは関係ないようで、関係ある。全部、「見ないで済む言葉」をかぶせておけば、心の底の“なんとなく”に触れずに済むから。
今朝、言い訳が尽きた瞬間、私はちゃんと寂しくなった。ちゃんと寂しくなった、って変だけど、でも、そこに変な安心もあった。寂しさって、薄めずに飲むと苦いけど、苦いってことは、ちゃんと味がするってことだから。
――ここから先、いつもとちょっと違う書き方をしてみる。
今朝の私は、冬太りの言い訳が尽きた。だから今日は、解決策を書かない。チェックリストも作らない。朝のルーティンも紹介しない。代わりに、言い訳が尽きたあとに残ったものを、そのまま机の上に置いてみる。
・駅の鏡で、にこっと笑って誤魔化したこと
・誤魔化したのは体じゃなくて、焦ってる自分だったこと
・言い訳が出ないと、寂しさが前に出てきたこと
こうやって並べると、ちょっと恥ずかしい。まるで自分の弱さのメモ帳だ。でも、今日はそれでいい気がした。いつもなら「まあ、冬だし」で終わらせるところを、終わらせない朝だったから。
昼休み、給湯室でお湯を沸かしていたら、隣にいた後輩が「最近、上司が怖くて…」と、ぽろっとこぼした。私は「わかるよ」と言いながら、内心で変な焦りを感じた。
私も同じことで怖がっているのに、私は怖いって言わずに、もっと上手な言葉に変換してしまう。「忙しい」「準備不足」「確認します」…それっぽい言葉にするほど、感情がどんどん薄まって、最後には自分でも何が怖かったのか忘れる。言い訳って、外向けの鎧みたいで、着ると安心するけど、脱ぎ方がわからなくなる。
午後、同僚が「最近、寒いと甘いもの増えちゃうよね」と笑いながら話していて、私は「ほんとだよね」と笑った。笑いながら、心の中で思った。
「私が増えたのは甘いものより、言い訳のほうかもしれない」って。もちろん口には出さない。こういう本音って、出すタイミングが難しい。出すと重いし、出さないと自分だけが置き去りになる。
帰り道、コンビニの窓に映った自分が、朝より少しだけちゃんとして見えた。たぶん、体が変わったわけじゃない。姿勢がほんの少し、まっすぐだった。言い訳が尽きた朝って、怖いけど、ちょっとだけ背筋が伸びるのかもしれない。逃げ道がないから、前を見るしかない、みたいな。
でも、私は“前向き”で終わらせたくない。背筋が伸びたからって、また明日には丸くなるかもしれないし、言い訳だって復活する。私の言い訳はしぶとい。コートの裏地みたいに、見えないところでずっと一緒にいる。
ただ、今朝ひとつだけ、確かに変わったことがある。
言い訳が尽きたときの空っぽさを、私は「失敗」と思わなかった。
空っぽって、怖い。だけど、空っぽだからこそ、何かが入る余地がある。私はその余地に、すぐに“改善”を詰め込みたくなるタイプだけど、今日は詰め込まなかった。寂しさがそこに座っているのを、追い払わなかった。
ねえ、読んでくれているあなたにも、言い訳が尽きる朝ってある?
体のことでも、仕事のことでも、人間関係でも、何でもいい。いつもなら口からすっと出てくるはずの「だって」が、出てこない朝。そういう朝に残るのって、案外、正しさじゃなくて、寂しさとか、怖さとか、変な沈黙とか、そういうものだったりしない?
今夜、私はスカートのホックを責めないで寝ようと思う。責めても何も変わらないし、責めることでまた言い訳が増える気がするから。増えた分だけ、自分の中が窮屈になるのは、もうちょっとだけ嫌だ。
冬太りの言い訳が尽きた朝。
尽きた言葉の代わりに、私の中に残ったのは、「じゃあ私は、何から逃げたかったんだろう」という、ちいさな問いだった。
その問いはまだ答えになっていない。
答えになってないから、たぶん明日も、私は生活を続けられる。中途半端なまま、コートを羽織って、また駅の鏡の前を通る。
そのとき私は、今日みたいに、ちゃんと笑えるかな。誤魔化す笑いじゃなくて、ただの、普通の笑いで。
玄関の鍵を回す音が、夜の部屋に小さく響く。コートを掛けて、深呼吸して、私は今日の自分に「おつかれ」とだけ言った。言い訳は、明日また出てきてもいい。でも今日は、出てこなかった自分を、ほんの少しだけ覚えておきたい。あ私は、何から逃げたかったんだろう」という、ちいさな問いだった。
その問いはまだ答えになっていない。答えになってないから、たぶん明日も、私は生活を続けられる。中途半端なまま、コートを羽織って、また駅の鏡の前を通る。
そのとき私は、今日みたいに、ちゃんと笑えるかな。誤魔化す笑いじゃなくて、ただの、普通の笑いで。
玄関の鍵を回す音が、夜の部屋に小さく響く。コートを掛けて、深呼吸して、私は今日の自分に「おつかれ」とだけ言った。言い訳は、明日また出てきてもいい。でも今日は、出てこなかった自分を、ほんの少しだけ覚えておきたい。





