冬の終わりに理由もなく不安になる夜、自分を責める癖がやわらぐ小さな習慣

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一人で過ごす女性
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2月になると自分を疑い始める夜に読む静かな心の整え方と一人時間の過ごし方

一人で過ごす女性

二月の夜って、音が少ない。

帰り道の商店街は、年末みたいに浮かれていないし、三月みたいに焦ってもいない。コンビニの自動ドアが開く「プシュー」という音だけが、やけにハッキリしていて、私はその音にすこしだけ救われる。今日もちゃんと生活している、みたいな証拠がそこにある気がして。

今日は、会社の最寄り駅で改札を出た瞬間に、息が浅くなった。理由はたぶん、ほんとに小さい。昼の会議で、私が出した案が「うーん、今じゃないかも」と軽く流された。誰も怒っていない。誰も責めていない。なのに私だけが、胸の内側を爪でひっかいたみたいに痛い。

帰りの電車で、反射的にスマホを開いて、なんでもないニュースをスクロールした。笑える動画を探して、誰かの「すごいね」に紛れたくて。でも、指だけ動いて、頭はぼんやり別の場所にいた。「今じゃないかも」って言われたのは案の話なのに、気づけば、私自身が「今じゃないかも」になっている。

家に着いて、玄関の電気をつけたとき、靴がひとつだけ斜めに転がっていた。朝の自分が、雑に脱いだんだと思う。そこまで疲れていたのか、ただ何も考えていなかったのか。どっちにしても、私の生活の小さな乱れが、今夜はやけに目立つ。

コートを脱いで、キッチンに立つ。お湯を沸かす。いつものマグカップ。いつものハーブティー。いつもの流れなのに、胸のあたりが「いつも」から微妙にズレている。私はそのズレを、見ないふりできなくなっている。

二月って、そういう月だと思う。

年始の「今年こそ」の熱が薄まって、節分が過ぎて、バレンタインの広告がやたら目に入る頃。世の中は甘い色をしているのに、私は甘くなれない。まるで、自分が誰かのイベントに置いていかれているみたいに。

もちろん、誰も私を置いていっていない。私が勝手に、走り出して、勝手に息切れしているだけ。そう分かっているのに、分かっていることが、あんまり助けにならない夜がある。

冷蔵庫を開けて、賞味期限ギリギリのヨーグルトを見つけた。三日前に買ったのに、気づけばこんなところまで来ている。私はよくこういうことをする。未来の私が食べるはずのものを、今の私が買って、未来の私が困る。未来の私って、いつも私の尻拭いをしている。

それに気づいた瞬間、妙に恥ずかしくなった。案を流されたことより、靴が斜めだったことより、賞味期限の数字のほうが、胸に刺さった。

「私は、ちゃんとできてない」

口に出すと、すぐにドラマみたいになってしまうから、声にはしない。けど、頭の中で、その言葉がこだましていた。しかも、やさしい声じゃない。小さくて冷たい声。誰かの声じゃなくて、私がいつも自分に使う声。

2月、静かに自分を疑い始める

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一月の私は、わりと派手だった。自分比で、だけど。新しいノートを買って、やることリストを作って、運動の予定を立てて、気持ちも少しだけ前向きだった。「変わる」って言葉を、疑わずに信じられた。

二月に入ると、その「変わる」が、いきなり重くなる。なんなら、ちょっと怖い。変わるって、今の自分を否定することにも見えてしまうから。「今のままじゃダメ」って言ってるみたいで。

今日の会議の「今じゃないかも」は、たぶん、その重さを引っ張り出した。私は仕事が好きだ。嫌いじゃない、じゃなくて、好きだと思っている。なのに、好きなことの中で、ふと自信が剥がれる瞬間がある。やりたい気持ちがあるほど、剥がれたところが痛い。

不思議なのは、誰かに否定されたときだけ、疑いが始まるわけじゃないってことだ。むしろ、誰にも何も言われてない日にも、疑いはふっと湧く。エレベーターの鏡に映った顔が思ったより疲れて見えたとか、インスタで流れてきた誰かの「充実した休日」が眩しすぎたとか、友達の結婚報告の「おめでとう」のあとに、心の隅がしんと冷えたとか。

そして、二月は寒い。寒いって、思っている以上に、心を縮める。身体がこわばると、考えもこわばる。外に出たくなくなると、誰かと会う予定も減って、部屋の中の音が増える。冷蔵庫のモーター音、換気扇の低い唸り、隣の部屋の足音。普段は気にならない音が、妙に存在感を持ち始める。静かなはずなのに、静かじゃない。

私はこの時期、ひとりの時間が増えるほど、思考が内側に折り畳まれていくのを感じる。折り畳まれた思考は、面積が小さいぶん密度が高い。密度が高いと、ちょっとしたことが重くなる。重くなると、動けなくなる。動けないと、また自分を疑う。小さなループ。

だから二月は、「自分を疑い始める」に向いている月だと思う。向いてほしくないのに、向いてしまう。

今日の私も、まさにそれだった。帰宅して、部屋の暖房をつけて、部屋があたたまるまでの数分が長かった。上着を着たままソファに沈み込んで、スマホを置いて、天井を見た。天井の白って、こんなに冷たかったっけ、って思う。

何もしていないのに、焦る。焦っているのに、動けない。動けない自分を見て、さらに焦る。ここまで来ると、焦りはもう、理由から離れて、ただの習性みたいになる。

私はよく、「ちゃんとしなきゃ」を鎧みたいに着る。鎧を着ると、一見強そうに見える。少なくとも、自分にはそう感じる。でも鎧って重いし、冬に着ると冷たい。しかも、鎧のまま寝転ぶと、どこかが必ず痛くなる。

それでも鎧を脱げないのは、鎧がない自分が怖いからだ。鎧を脱いだら、私は何者になるんだろう。人から見て、価値がないかもしれない。頑張ってないかもしれない。努力してないかもしれない。——つまり、私自身が私を好きでいられないかもしれない。

この怖さって、誰かに説明しづらい。だって、外から見れば私は普通に働いて、普通に暮らしている。健康で、友達もいて、家もあって。何が不満なの?って言われたら、言葉に詰まる。何が不満っていうより、何が不安なの?に近い。

不安は、形がない。形がないから、押さえようがない。押さえられないから、より不安になる。二月は、その形のないものが、部屋の隅にたまっていく感じがする。

うまくいかなかったことの正体が、実は「私」じゃない夜

今日の「うまくいかなかったこと」を、正直に言うと、仕事の案が通らなかったこと…なんだと思う。でも、もっと正直に言うと、案が通らなかったこと自体より、その後の私の反応が、うまくいってなかった。

流された瞬間、私は笑って「たしかに〜」って言った。冗談みたいに。場の空気を壊したくなかったから。でも、あの笑い方は、たぶん、私が私を守るための笑いだった。守れてないけど。

そのあと、内心でずっと審査会が始まっていた。「説明が下手だった?」「準備が足りなかった?」「そもそもセンスがない?」「私って、ここにいていい?」って。案へのフィードバックが、いつのまにか人格の否定に変換されていく。変換しているのは、他の誰でもなく私。

これは私の癖だと思う。仕事に限らない。恋愛でも、友達関係でも、些細なすれ違いが起きると、「私の何かが足りない」へ直行する。足りない部分を見つけて、そこを直せば、次はうまくいくはずだって信じたくなる。

でも、直すって、どこまで?ってなると途端に曖昧になる。足りない部分って、どこ?って聞かれても、うまく答えられない。だから、どんどん範囲が広がっていく。笑い方、話し方、服の選び方、声のトーン、返信の速さ、休日の過ごし方。気づけば、私の全部が採点対象になっている。

二月は、その採点が静かに加速する。冬のコートの内側で、誰にも見えないところで。

私は、他人から見たら「気にしすぎ」なのかもしれない。けど、気にしすぎって言われると、少しだけ悲しい。気にしているのは、私が弱いからじゃなくて、私が大事にしているからだと思うから。仕事も、関係も、自分の人生も。大事にしているほど、手放しで笑えない時がある。

じゃあ、どうすればいいんだろう。

今日は、食器を洗いながら、ふいに思った。泡だらけのスポンジを握って、指先が冷たくなっていく感覚。水の音。換気扇。やっと温まってきた部屋。いつもの生活音。その中で、私の頭だけが、別の世界で勝手に審査を続けている。

「この審査、誰がやってるんだっけ」

自分が自分を疑っているのに、疑っている主体がどこなのか分からない。私の中に、もうひとりの私がいて、ずっと採点している。しかも、その採点官はいつも厳しい。褒めるのが下手で、減点は得意。たぶん、私がこれまで「ちゃんとしなきゃ」で生き延びてきたから、採点官も育ってしまった。

採点官を黙らせる方法を、私はまだ知らない。けど、少なくとも気づけた。「うまくいかなかった」の正体が、出来事そのものじゃなくて、私の中の採点官の声だった夜があるって。

そう思えたとき、少しだけ息が深くなった。完璧に楽になるわけじゃない。でも、「私がダメだから」だけで終わらせないことが、ほんのちょっと、私を守る。

二月は、自己肯定感を上げる月じゃなくていいのかもしれない。上げようとして上がらないと、また自分を疑うから。むしろ、疑ってしまう自分を「はいはい、今それが来てるね」と観察する月。観察できれば、巻き込まれ方が少しだけマシになる。

それでも、たまに巻き込まれる。今日みたいに。部屋着の膝が伸びているのを見て落ち込むし、洗濯物を畳むのが面倒で自己嫌悪するし、寝る前に誰かの幸せそうな写真を見て、心がちくっとする。それが人間っぽい、って言い方は好きじゃないけど、たぶん私はそういう生き物なんだと思う。

明日になれば、また普通に会社へ行く。あの案の代わりを考えるかもしれないし、別の仕事に追われるかもしれない。何事もなかったみたいに笑うかもしれない。そうやって日々は進む。

ただ、二月の夜は、ふいに立ち止まらせる。静かに。強制じゃなく、そっと。立ち止まった瞬間だけ、自分が本当は何を怖がっているのか、輪郭のないまま触れてしまう。

私は、何を怖がっているんだろう。

置いていかれること? 誰にも選ばれないこと? 期待されないこと? 何者にもなれないこと? それとも、期待していた自分になれないこと? 答えはまだ出ない。たぶん、今夜も出さないほうがいい。

キッチンの電気を消して、リビングの間接照明だけにする。部屋が少しだけ柔らかくなる。カーテンの隙間から、遠くの車のライトがぼんやり動く。私は、ソファの上で膝を抱えて、呼吸を数える。

二月、静かに自分を疑い始める。

それは、私が弱いからじゃなくて、たぶん、ちゃんと生きたいから起きる揺れなのかもしれない、とだけ思ってみる。断言しない。言い切った途端に嘘になる気がするから。

明日、また疑ってしまってもいい。今日の私が今日の私を見捨てなければ、それで十分かもしれない。

そういうことを考えながら、私はベッドに入る。

天井の白が、さっきより少しだけやさしく見えた気がした。

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