乾く季節に、肌より先に自分を責めていたことに気づいた夜のこと

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肌トラブルの女性
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冬の肌トラブルを直さなくなった朝、指先より心が先に楽になった話

肌トラブルの女性

今朝、ベランダの窓を少しだけ開けたら、空気がきゅっと冷えていて、部屋のぬくもりと外の乾きが混ざる匂いがしました。コーヒーをいれて、マグのふちで唇を温めて、今日もなんとかやっていこうって思った瞬間に、指先がヒリッと痛んだんです。

洗い物をしたあと、いつのまにかできていた小さなひび割れ。赤くもないし、大げさに見えるわけでもないのに、触れるたびに「そこに居る」って主張してくる、冬の小さな肌トラブル。

こういうのって、ほんの数ミリの出来事なのに、頭の中では勝手に拡大して、いつもの生活の輪郭までぼやかしてくる。朝のメイク(というより眉だけ)も、髪のまとまりも、通勤の駅の階段も、全部が「今日、私ちゃんとできてる?」の採点会場になる感じ。冬って、空気が乾くだけじゃなくて、自己評価も乾く。

たぶん、これだけで「対策しなきゃ」ってスイッチが入る人、多いと思う。私もそう。すぐ検索して、すぐ“正解”を探して、すぐ“治す手順”に気持ちを乗せたくなる。だけど今日は、なぜかそのスイッチを押したくなくて、指先を見つめながら、ちょっとだけ立ち止まりました。

皮膚が乾くのは、空気が乾くからだけじゃなくて、冬の低湿度や暖房で肌の水分が逃げやすくなって、バリアが弱りやすいから、と言われています。乾燥が進むと、目立つ湿疹がなくてもかゆみだけが強く出ることもあるらしい。

そういう説明を読むと、妙に納得してしまうし、「だから私は正しく手当てしなきゃ」と自分を追い立てる材料にもなる。皮脂欠乏症(乾皮症)は水分保持やバリア機能が崩れて乾燥を起こし、重くなると強いかゆみを伴うことがある、というガイドラインの言葉も、頭ではわかる。

でも、今日は“治そうとしない”。その選択を、ちゃんと自分の手でやってみたくなった。


1)「治したい」より先に来るもの

午前中、仕事のチャットを返しながら、無意識に指のひび割れをこすっていました。痛いのに、触ってしまう。こういう「やっちゃダメ」ほど、やっちゃうやつ。机の上のマグと、開いたままのタブと、指先の小さな痛みが、同じ画角に収まっている時間が長いほど、なぜか気持ちが落ち着かなくなる。

「治す」って言葉には、正しさがくっついてる気がします。治す=前に進む。治す=改善。治す=立派。逆に、治さない=怠慢、みたいな。だから私は、肌トラブルが出た瞬間、肌より先に「私は怠けてないですよ」って証明をしたくなる。誰に向けてなのかは、わからないのに。

ここで、誰にも言わなかった本音をひとつ。

「肌が荒れると、私の生活まで荒れてるって判定される気がして怖い」

肌トラブルって、ただの現象なのに。なのに私は、肌が荒れる=だらしない=自己管理できてない=人生も崩れてる、みたいに勝手に連想して、勝手に落ち込みに行く。たぶん“治したい”の正体って、肌そのものより、そういう判定から逃げたい気持ちなんだと思う。

あともうひとつ、ちょっと恥ずかしい本音があって、私は「ちゃんとケアしてます感」が好きなんですよね。努力してる自分が好きというより、努力してる自分を見たときの“安心の顔”が好き。逆に言うと、安心の顔を作るためなら、私は平気で自分にタスクを増やす。冬は、それが加速する。

2)今日の小さな出来事:コンビニのレジで、手を引っ込めた

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昼休みにコンビニに寄って、おにぎりと味噌汁と、なんとなく買ったチョコをレジに出したとき。店員さんが「袋いりますか?」って聞いてくれて、私は「大丈夫です」って言いながら、指先のひび割れが見えないように、さりげなく手を引っ込めました。

本当に、すごくどうでもいい出来事。誰も見てないし、見てても気にしてない。だけど、その瞬間だけ、胸の奥がちくっとしました。たぶん私が気にしているのは“ひび割れ”じゃなくて、“ひび割れを気にしている自分”が露呈することなんだと思う。

「隠したいって思った時点で、私はもう負けてる」

そう思って、ちょっと笑ってしまった。負けって何に、って感じなんだけど。私はきっと、見た目の“整ってる感”を保てているうちは大丈夫、みたいな、謎の安心を持っている。冬はその安心を、簡単に崩してくる。

帰り道、駅の改札前で手を消毒したら、やっぱり沁みて、思わず息を吸ってしまいました。あの一瞬の「痛っ」が、私の現実。痛いのに、私はいつも「痛くならない未来」のほうを先に取りに行こうとする。未来ばかりに前のめりで、今の痛みは置き去り。たぶんそれが、肌に限らず、仕事でも人間関係でもやってることなんだろうなって思いました。

3)「治そうとしない」=放置じゃない、という違和感

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家に帰って、暖房の風が当たる位置を少し変えて、マグカップにお湯を足して、手を包むみたいに握りました。ここで私がしたのは、「何もしない」じゃなくて、「急いで直さない」ということでした。

冬の乾燥は、低湿度や冷たい風、室内の暖房で強まりやすい、といろんなところに書いてある。 それを知ったうえで、私は今日、“改善のためのタスク化”をやめたかった。

やるべきことリストに「肌を治す」を入れた瞬間、肌は私の管理対象になって、私は私の監督官になる。監督官って、だいたい厳しい。たいてい優しくない。

もちろん、症状がつらいときや広がるときは、受診したりケアが必要になる。乾燥が強いと炎症を伴う湿疹に進むことがある、という話もあるし、無理して我慢するのが正解じゃない。 ただ、今日の私が扱いたかったのは、「つらさ」と同じくらい大きい、“治そうとする焦り”のほうでした。

焦りって、すごく便利なんです。焦ってると「動いてる私」になれるから。焦ってると「ちゃんとしようとしてる私」になれるから。たぶん私は、焦りを手放すのが怖い。焦りがなくなったら、私の中身が空っぽに見えそうで。でも実際は、焦りがあると、私の中身はますます見えなくなる。

ひび割れの痛みひとつ取っても、「早く治したい」が前に出ると、その奥にある気持ち(恥ずかしさとか、疲れとか、寂しさとか)を見ないまま終わってしまう。

今日、ドラッグストアの前を通ったとき、反射みたいに足が止まりかけました。いつもの私なら、棚の前で“それっぽい何か”を探して、買って、帰って、やった気になって、安心する。だけど今日は通り過ぎた。買わないことが目的じゃなくて、「買えば解決する」って物語に乗らないことが目的。自分の中の“安心の近道”に、少しだけ距離を置きたかった。

——ここで気づいた、ささやかな変化がひとつ。

私は、肌を治したいんじゃなくて、「早く安心したい」だけだった。

安心って、いつも結果として欲しがってしまう。肌が整ったら安心。予定が崩れなかったら安心。返信が来たら安心。誰かが優しかったら安心。…そうやって、未来の自分に安心を委託して、今日の自分はずっと保留になる。冬の肌トラブルは、その癖を、すごくわかりやすく暴いてくる。

わかる…って思った人、いるよね。たぶん、私だけじゃない。ほんの少しの不調があるだけで、仕事の集中力が落ちて、将来の不安が膨らんで、人間関係の棘が刺さりやすくなる。私たちの心って、湿度に左右されすぎる。

夜、洗面台の前で指先を見たら、朝より少しだけ赤みが増えていました。正直、ちょっと嫌だった。「ほら、だから何かしないと」って声が、頭の奥から出てきた。でも、今日はその声に従わなかった。

嫌だなって思う気持ちを否定しないで、そのまま寝る準備をしました。「早く治さなきゃ」って呟かなかっただけで、今日の私は昨日より少しだけ、監督官じゃなくなれた気がする。

それでも、布団に入って電気を消す直前に、指先がズキっとして、やっぱり腹が立ちました。こんなに小さいのに、なんで私の気分を左右するの。


なんで冬の空気に、私が負けたみたいになるの。そう思って、ちょっと泣きそうになって、でも泣くほどでもなくて、ため息だけが出る。こういう「泣くほどじゃない不快」が、たぶん一番やっかい。

ちなみに、こういう日に限って手袋を忘れていて、ポケットに手を突っ込んで歩く帰り道が、やけに長く感じたりするんですよね。ついでに心まで縮こまって、肩だけが勝手に上がる。

冬は、身体の小さな不調が増える季節で、気持ちまでザラつきやすい。乾燥って、空気だけじゃなくて、心にも起こる。だから私は、全部を“治す対象”にしないで、ひとつくらい「そのままでいる練習」をしてみたい。

治すかどうかの前に、今日の私がどんなふうに揺れたかを、ちゃんと自分が見てあげる。それだけで、明日が少しだけ違うかもしれない、くらいの期待で。

あなたは最近、なにかを“治そうとしすぎて”疲れていませんか。
そして、その「治したい」の奥に、どんな気持ちが隠れていると思いますか。

肌トラブルの女性

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