「隠れ高カロリー食品」って、だいたい“いい顔”して近づいてくる

朝、駅までの道がやけに冷たくて、吐く息が白いのに、コートの前はきっちり閉められないまま歩いていました。
理由はたぶん、寝起きのぼんやりした頭が「今日はきちんとしよう」と「どうせ今日もバタつくよ」を同時に抱えていて、どっちの味方をするか決められないまま、手だけが先に改札へ向かっていたから。
会社に着いたら、デスクの上に置いてある自分のマグカップを見て、昨日洗っていないことに気づきました。
こういうの、ほんとに誰にも迷惑かけてないのに、なぜか私だけが私を見逃せなくて、軽く凹むんですよね。
「丁寧に暮らしたい」って言いながら、丁寧の入口でつまずく朝が、最近ちょっと増えた気がします。
それで今日の小さな出来事は、昼休みのコンビニでした。
“なんとなくヘルシーそう”を寄せ集めて買い物かごに入れたのに、レジを出たあと、裏の栄養成分表示を見て、ひとりで固まりました。
隠れ高カロリー食品って、たぶん、食べ物の話というより「私の思い込みの話」なんだなって、今日になってやっと腑に落ちたんです。
1つめの罠:「軽そう」に見えるのに、ちゃんと重い
今日、私が買ったのは、よくある“良さげセット”でした。
サラダ(小さめ)と、ヨーグルトと、カフェラテと、あと「仕事中に片手で食べられるから」という理由でグラノーラバーみたいなやつ。
文字にすると、健康意識の人みたいで笑えます。たぶん私は“意識してるふり”が上手い。
で、問題はサラダのドレッシング。
小袋のやつを「味しないと午後やってられないし」と思って、わりと迷いなく選んだんですけど、あれって種類によっては脂質がしっかり入っていて、カロリーもぐっと上がるんですよね。
サラダ本体は軽いのに、ドレッシングで一気に“別の食べ物”になる感じ。
それから、カフェラテ。
私の中で、コーヒーはだいたいゼロカロリーの顔をしてます。顔だけ。
でも甘いシロップが入っていたり、ミルクが多めだったりすると、飲み物なのに「食べた」に近い満足感と一緒に、数値もきっちりついてくる。
飲み物って、食べ物より“罪の自覚”が薄いのがずるいです。私がずるいのか、飲み物がずるいのか、もうわからない。
あと地味にびっくりしたのが、グラノーラバー。
「ナッツ」「オーツ」「食物繊維」みたいな言葉が並ぶと、脳が勝手に“軽い判定”を出すんですけど、実際は砂糖や油脂がしっかり入っていたりして、サイズの割にカロリーが高めなものもある。
小さいのに、ちゃんと主張してくる。そういうところ、私と似てる(似なくていい)。
隠れ高カロリー食品って、だいたい“いい顔”して近づいてくるんですよね。
ヘルシーっぽい言葉、手軽さ、丁寧そうな見た目。
それを選んだ自分も、なんだか少し良い人になった気がして、心が楽になる。
なのに裏を見たら、「いや、ちゃんと重いよ」と数字が静かに言ってくる。
2つめの罠:「ちょい足し」が、私の生活と同じで増えていく

昼休み、席に戻って食べながら、私はいつも“ちょい足し”をします。
サラダにゆで卵を足したり、スープにパンを足したり、ヨーグルトにハチミツを足したり。
別に暴飲暴食をしたいわけじゃなくて、ただ「足りないと午後が怖い」だけ。
この「午後が怖い」って感覚、同世代の人ならわかる気がします。
お腹が空くこと自体が怖いんじゃなくて、空腹のせいで集中が切れて、ミスして、余計に落ち込んで、帰り道が暗くなるのが怖い。
だから私は、空腹にならないように、常に何かを足しておきたい。
でも、隠れ高カロリーって、まさにこの“ちょい足し”に潜んでる。
ドレッシングを増やす。
カフェラテを「大きい方」にする。
デザートを「一口だけ」つける。
ナッツを「健康だから」とつまむ。
チーズを「たんぱく質」として追加する。
この「ちょっと」が積み重なると、いつの間にか“ちゃんと一食分”になる。
それで今日、裏の表示を見た瞬間、心の中で浮かんだ誰にも言わなかった本音が、これでした。
「あー、また私、ちゃんと見てない。私は自分の生活を、いつもこんなふうに“だいたい”でやってる」って。
食べ物だけじゃなくて、日々のいろんなこと。
家計簿も、部屋の片づけも、将来のことも、人間関係の小さな違和感も。
見なきゃいけないのに、見たら疲れるから、“だいたい大丈夫”にしてしまう。
隠れ高カロリー食品は、なんだかその縮図みたいで、急に胸がきゅっとしました。
3つめの罠:数字より、私が疲れていたのは「自分を疑う感じ」だった
カロリーって、ただの数字のはずなんです。
なのに今日の私は、その数字に“責められた気”になりました。
たぶん原因は、数字そのものじゃなくて、数字の前にある「私は騙されたの?」「私は選べてないの?」っていう、自分への疑いの感覚。
隠れ高カロリー食品って、言い換えると「見た目と中身が違うもの」です。
軽そうに見えるのに重い。
ヘルシーそうに見えるのに濃い。
私が勝手に安心して、勝手に油断して、勝手に落ち込む。
今日、ふと違和感として残ったのは、“私が悪い”に着地しやすい世界だなってことでした。
成分表示はちゃんと書いてあるのに、表の顔はいつも優しい。
「食物繊維」「たんぱく質」「ビタミン」って、やさしい言葉で並べてくる。
それを信じた私が浅いのか、疲れてるだけなのか、判断がつかない。
この「自分を疑う感じ」が、妙にしんどかった。
だから今日の小さな気づきは、反省とか改善とかじゃなくて、もっと手前のところです。
私はきっと、食べ物の数字を管理したいんじゃなくて、自分の選択に安心したいだけなんだと思う。
安心したいから“ヘルシーっぽいもの”に寄りかかる。
でも寄りかかった先で裏を見て、急に現実を突きつけられると、「やっぱり私ダメじゃん」ってなる。
この流れ、食べ物に限らず、仕事でも人間関係でも、わりとやってる気がします。
「大丈夫そう」を選んで、後から不安になって、ひとりで疲れるやつ。
それに気づいたら、なぜか今日の私は、少しだけドレッシングを憎めなくなりました。
悪者にするほどの話じゃない。
ただ私が、安心したくて、急いでて、疲れてて、都合のいい言葉を信じたかっただけ。
——そう思ったら、ほんの少しだけ呼吸が楽になったんです。ポジティブっていうより、「あ、またこれやってた」っていう静かな納得。
ちなみに、隠れ高カロリー食品って、他にもいろいろあります。
たとえば、ナッツやグラノーラ、ドライフルーツ、スムージー、シリアル、菓子パン、フレーバー付きヨーグルト、ドレッシングやマヨ系のソース、クリームたっぷりのカフェドリンク、チーズ系のおつまみ。
「体に良さそう」「手軽」「ご褒美」の顔をしているものほど、エネルギーが高かったりする。
もちろん、それが悪いわけじゃなくて、“知らないまま安心しちゃう”と、気持ちが置いていかれるのがつらいんだと思います。
今日の私は、完璧に選び直したわけでも、ヘルシー生活に生まれ変わったわけでもないです。
ただ、買ったものの裏を一回見て、「私って、安心したいんだな」って思っただけ。
それだけなのに、帰り道の寒さが朝よりちょっとだけマシに感じました。気のせいかもしれないけど。
ねえ、あなたは最近、何かを選ぶときに、ちゃんと“安心”できてますか。
それとも私みたいに、いい顔の言葉に一回寄りかかって、あとで静かに自分を疑ってしまったりしますか。





