甘いものに手が伸びる午後、私が“糖煎坊”を選んだ理由と心の余白の話

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茶を飲む女性
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甘さで気持ちをなだめる癖と、糖煎坊の湯気

茶を飲む女性

今朝は、部屋の空気がいつもより乾いていて、加湿器の水が切れていることに気づいたのに「あとで入れよう」と言い訳して、そのまま放置しました。窓の外は冬らしい薄い青で、晴れているのに光が優しくなくて、床に落ちた日差しがなんだか冷たく見える。こういう日って、体調が悪いわけじゃないのに、気持ちだけが先にくたびれている感じがします。

在宅ワークの日は、誰にも会わないのに身だしなみだけ整える、みたいな妙な儀式が発生することがあって、今日も私は、鏡に向かって「ちゃんとしてる風」を作りながら、心の中ではすでに少し投げやりでした。冷蔵庫を開けても食材は中途半端で、昨日の残り物も、作りかけの何かも、全部が“決定打”にならない。だからといって、ちゃんと買い物に出るほどの元気もない。そういうとき、私の手はだいたい甘いものに伸びます。パンとか、クッキーとか、コンビニの新作とか、たぶん脳が一番早く「報酬」を欲しがってる。

たぶんこれ、私だけじゃない。疲れてるときほど、甘さって早い。考えなくていいし、あったかいし、ひと口目で世界が少しだけマイルドになる。……その代わり、口の中の甘さが消えたあとに、薄い罪悪感が残るのもセットでついてくるんだけど。

今日の小さな出来事は、その“セット”が発動する一歩手前で、私が立ち止まったことでした。すごいことじゃない。ただ、ほんの一回だけ、いつもの流れを変えただけ。


いつものコンビニで、いつもの「甘さ」に手を伸ばしそうになった

午前中の会議が思ったより長引いて、画面の中の人たちの声が遠く感じる瞬間が何度かありました。相づちを打ちながら、私は自分の顔がちゃんと“参加している顔”になっているか気にしていて、内容よりも表情の管理に体力を使ってしまった気がします。会議が終わってミュートを解除する必要がなくなった瞬間、どっと疲れが来る。誰にも見られてないのに、なぜか見張られていたみたいな疲れ。

それで昼前、郵便を出すついでにコンビニに寄りました。目的は水と、何か簡単に食べられるもの。なのに棚の前に立つと、体が勝手に“甘いものコーナー”へ進むんですよね。新作のスイーツ、限定のチョコ、パッケージがかわいい焼き菓子。あのコーナーだけ、照明が一段明るい気がする。たぶん気のせいなんだけど。

私は小さなクッキーを手に取って、買う理由をすでに用意していました。「今日はがんばった」「午後もある」「これくらいはいい」「どうせ誰にも迷惑かけない」。そういう言い訳が、会計より早い速度で頭の中を走る。

でもそのとき、カバンの中に入っていた“糖煎坊”の存在を思い出しました。先日、なんとなく気になって買ってみたやつ。名前の響きがちょっと渋いのに、どこかかわいげがあって、私の中の“真面目とズボラの中間”に刺さった。お茶、というより「自分のコンディションにひと呼吸ぶんの間を作るための道具」みたいな感じがして。

クッキーを持ったまま、私は数秒だけ固まりました。大げさだけど、あの数秒って、こういう一人暮らしの生活の中では案外大きい。誰も止めてくれないし、誰も責めてくれない。だから自分が自分に「どうする?」って聞くしかない。

そのとき、私の心の中で浮かんだ、誰にも言わなかった本音はこれでした。

「私、甘いもので気持ちの穴埋めをしてるの、バレたくない」

誰にバレるんだよ、って話なんだけど。たぶん私は、自分自身にバレたくなかった。甘いものを選ぶ自分が悪いわけじゃないのに、それが“逃げ”に見える瞬間があるのが嫌だった。だから「好きだから買う」じゃなくて「必要だから買う」みたいに、ちょっと正当化してしまう。そのズルさを、自分で見たくなかった。

結局、私はクッキーを棚に戻して、水だけ買って家に帰りました。ほんとに小さな出来事。拍手も起きないし、人生も変わらない。でも、今日はそれが妙に引っかかった。


台所で湯を沸かしながら、なぜか「さみしさ」の輪郭が見えた

家に戻って、上着を脱いで、手を洗って、いつもの流れでキッチンに立ちました。湯を沸かすって、当たり前の作業なのに、意外と時間がかかる。レンジで何か温めるのと違って、湯が沸くまでの数分、私は待つしかない。待つ間にスマホを触ろうとして、でも今日はそれをやめて、ぼーっとケトルの音を聞きました。

糖煎坊をカップに入れて、お湯を注ぐと、湯気がふわっと立ち上がって、部屋の乾いた空気が少しだけ柔らかくなった気がしました。香りは強すぎなくて、でも「今、飲み物を用意してる」っていう実感はちゃんとある。こういう“手間の気配”が、私にはたまに必要なんだと思います。何もしないで気持ちが変わる日もあるけど、何もしないと気持ちがどんどん荒れていく日もある。

カップを持って椅子に座って、ひと口飲んだ瞬間、私は不意に思いました。

甘いものが欲しかったんじゃなくて、たぶん“間”が欲しかった。

口の中に広がる味は、甘いわけじゃない。でも、あったかい。そこに“すぐに変化が起きない”感じがあって、それが逆に安心でした。甘いものって、食べた瞬間に気持ちが変わる。だから頼りになる。だけど、変わり方が急すぎると、その反動も急に来る。今日はそのジェットコースターに乗りたくなかったのかもしれない。

ここで、読者が「わかる…」って感じる一文を入れるなら、たぶんこれです。

「疲れてるときほど、何かで自分を“すぐ機嫌よく”させたくなるんだよね。」

しかもそれが、誰かが用意してくれる優しさじゃなくて、コンビニとかお菓子とか、すぐ手に入るものだったりする。手軽で、早くて、便利。そういうものに救われる日もあるのに、救われた自分を少しだけ恥ずかしく感じる日もある。私は今日、まさにその揺れのど真ん中にいました。

糖煎坊を飲みながら、私の中にずっとあった違和感が、少しだけ言葉になってきました。

私、たぶん“甘さ”が欲しいんじゃない。
「よしよし」ってしてほしいんだ。
でもそれを誰かに頼むのは重い気がして、だから甘いものに頼る。
そして頼ったあとに「またやってる」って自分を見下げてしまう。

自分で自分を抱きしめるのが下手な人ほど、代わりの何かを探してしまうのかもしれません。


変えたのは、意志じゃなくて「順番」だった

茶を飲む女性

糖煎坊を飲み切っても、正直、甘いものが欲しい気持ちがゼロになったわけじゃありません。むしろ「このあとクッキー食べたら最高じゃない?」みたいな悪魔のささやきは、普通にいました。私はストイックじゃないし、そもそもストイックでいたいとも思ってない。

でも、今日の小さな変化はここにありました。

“甘いものを食べる前に、いったん温かい飲み物を挟む”
ただそれだけの順番変更。

これって、我慢とか根性じゃなくて、単なる段取り。自分を矯正するんじゃなくて、自分の機嫌の取り方にワンクッション入れる感じ。今日の私には、そのワンクッションがちょうどよかった。

そしてもう一つ、気づいたことがあります。糖煎坊を飲む時間って、体だけじゃなくて、気持ちにも少しだけ余白ができる。余白ができると、私は自分に対して乱暴になりにくい。「なんでまた甘いもの欲しがってるの?」って責める代わりに、「そりゃ欲しくなるよね」って言える。たったそれだけで、今日の午後の世界がちょっとだけ違って見えました。

それでも私は、午後に近所のスーパーで小袋のチョコを買いました。結局買うんかい、って感じだけど、買いました。でも不思議と、罪悪感が薄かった。糖煎坊を挟んだことで、「衝動」じゃなくて「選択」になった気がしたから。自分の選択なら、そんなに責めなくていい気がしたから。

この感覚、たぶんすごく地味で、誰にも自慢できない。SNSに書いたら「それだけ?」って言われそう。でも、私の生活って、こういう“地味な調整”の積み重ねでできてるんだと思います。派手な改革じゃなくて、今日は湯を沸かした、今日は順番を変えた、今日は少しだけ自分に優しくできた、みたいな。

そして、ここが今日いちばんの違和感でした。

私は、自分を甘やかすことより、自分を責めることのほうが簡単になっていた。

甘いものを食べることが悪いんじゃない。
疲れている自分が悪いんじゃない。
でも私は、何かを“ちゃんとできなかった”瞬間に、自分へ雑に当たる癖がある。
その癖を放置すると、気づかないうちに毎日がちょっとずつ苦くなる。

糖煎坊の味が、今日はその苦さを少しだけ薄めてくれた気がしました。甘さじゃなくて、苦さの濃度を調整する感じ。私はたぶん、そういうものが欲しかった。


今日、私は完璧じゃなかったし、強くもなかったし、結局チョコも買った。でも、いつもの自分の流れに、ほんの少しだけ手を入れた。それだけで、夕方の空がほんの少しだけ柔らかく見えました。

あなたは、疲れたときに「甘さ」で自分をなだめたくなる側ですか、それとも「何か別の温度」で落ち着きたくなる側ですか。もし今日、あなたの中に小さな衝動が湧いたとしたら、そこに“ひと呼吸ぶんの間”を挟むと、何か変わるんでしょうか。

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