痩せる薬のニュースを読んだ朝、コンビニでおにぎりを戻した理由が自分でも意外だった

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ダイエットを頑張る女性
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ダイエットの最新ニュースより、温かいお茶を選びたくなった日の心の動き

ダイエットを頑張る女性

今朝、起きてすぐカーテンを開けたら、空は晴れてるのに空気だけがやたら冷たくて、部屋の中の静けさが「冬って、こういう顔してくるよね」と言ってるみたいだった。暖房をつける前に、白湯を飲もうとして電気ケトルのスイッチを押す。

…押したのに、なぜかランプがつかない。コンセントが少し浮いてた。こういう“小さな不具合”って、心の余裕がある日は笑って直せるのに、ない日は「はいはい、今日も私の味方いない」みたいに受け取りそうになるから不思議。

そんな朝のぼんやりした頭で、スマホを開いたら、今日やたら目に入ってきたのがダイエット関連のニュースだった。ざっくり言うと、注射じゃなく“飲み薬のWegovy”がアメリカで出だし好調という話と、Wegovyの成分(セマグルチド)のジェネリックがインドで承認されて価格競争が進みそうという話。どっちも、読むほど「時代が次の段に移った感」がある。今、痩せることは“努力”だけじゃなくて、どんどん“供給”されるものになっているんだなって。

で、ここからがたぶん私っぽいんだけど——私はそのニュースを読みながら、未来の健康とか医療アクセスとかより先に、自分の胃のほうが先に反応した。お腹が空いたわけじゃないのに、胃がきゅっと縮む感じ。「痩せる薬が広がる」って情報が、なぜだか“食べることへの罪悪感”を連れてくる日がある。

今日の私に起きた小さな出来事は、たぶんすごく地味だ。近所のコンビニで、いつもは買わないおにぎりを棚に戻した。理由はお金でも好みでもなくて、ただ、手に取った瞬間に頭の中で「これは“正しい選択”なの?」って声が鳴ったから。
……言葉にすると、ちょっと恥ずかしい。たかがおにぎりに、人生の採点みたいなものを持ち込むなよ、と自分で思う。でも、ほんとにその瞬間、誰にも言わなかった本音が浮かんだ。

「私は、食べることを楽しむのが下手になってきてるのかも。」

“痩せる薬”のニュースが、私の生活に直接関係あるわけじゃない。飲む予定もない。今すぐ必要な治療でもない。なのに、なぜこういうニュースに触れた日は、コンビニの棚の前で自分が急に「評価される存在」みたいに感じてしまうんだろう。

ニュースが「選択肢」じゃなくて「視線」になるとき

Reutersの記事では、Wegovyの飲み薬がアメリカで発売後の処方数を伸ばしていて、注射より“針がない”ぶん広がりやすい期待がある、みたいな流れだった。
MarketWatchでも同じ流れで、処方数が増えていることが話題になっていた。

ここで私が感じたのは、薬そのものへの賛否じゃなくて、もっと湿っぽい感情。「選択肢が増えるほど、選ばない人が置いていかれる感じ」
置いていかれるって言うと大げさだけど、要は、選択肢が“自由”じゃなくて“基準”になってしまう怖さ。世の中の空気が、「努力で痩せる/痩せない」から、「薬があるのに痩せない」に変わっていったら、食べることの肩身がどんどん狭くなる気がした。

私、こういうのに弱い。みんなが当たり前に乗り換えるもの(スマホの機種とか、キャッシュレスとか、最新の流行語とか)に、ちょっと遅れるだけで自分が“旧型の人間”みたいに感じる時がある。
そして今日、私の旧型ポイントは、なぜか「食べる」に来た。おにぎりを戻した自分を、誰も見てないのに、誰かに採点されてる気がした。

たぶんこれ、同世代の一人暮らしの人は、わかる。
「誰にも責められてないのに、勝手に自分を監視してしまう日、ある。」
それが仕事の成果だったり、SNSの投稿頻度だったり、部屋の片づけだったりするけど、今日の私は、たまたまそれが“食べる”に出ただけ。

「痩せる薬」が広がるほど、戻る場所がシビアになる

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さらに、今月の別の研究で「体重を落とす薬をやめた後は、体重が戻りやすい(しかも行動だけの減量より速い)」という分析が出た、という話も見かけた。オックスフォードの研究者たちのシステマティックレビュー&メタ解析で、BMJに載ったと説明されていた。
こういう話って、薬を否定するためじゃなくて、現実の“扱いの難しさ”を示しているんだと思う。痩せることが「ゴール」じゃなくて「維持の設計」になる。終わりがない。だからこそ、薬が必要な人には適切なサポートが必要で、自己判断の怖さもある。

でも、私がここで引っかかったのはまた別のところで。
「痩せる手段が増えるほど、“戻る”という言葉が重くなる」ってこと。リバウンドって、身体の問題である前に、気持ちをえぐる言葉だ。戻った体重だけじゃなく、戻った自己嫌悪とか、戻った焦りとか、戻った“ちゃんとできない私”がセットでやってくる感じがするから。

今日、コンビニでおにぎりを戻したのって、もしかしたら「食べたら戻る」って恐れを、先回りして避けたかったのかもしれない。
だけど冷静に考えると、おにぎり一個で人生は戻らない。なのに、私の心はそういう計算が苦手で、ニュースの勢いに飲まれて「一個の選択」が“その人の価値”みたいに膨らんでしまう。

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私が今日やってみた、小さすぎる抵抗

コンビニを出たあと、結局私は何を買ったかというと、温かいお茶だけ。部屋に戻って、机の上の領収書の山を横目で見ながら、お茶をすすって、ニュースをもう一回読んだ。
そのとき、ふっと湧いた違和感があった。

「痩せるニュースは増えるのに、私は“暮らしの手触り”を置き去りにしてない?」

薬の話も、研究の話も、社会としてはすごく大事。アクセスが広がること自体は救いになる人もいる。価格競争で届く人が増える可能性もある。
でも、私の生活の半径2メートルでは、今日の課題はもっとしょぼい。
・コンセントが浮いてた
・部屋が寒い
・コンビニでおにぎりを戻した
・たぶん少し、疲れてる

それなのに、私は“正しい体”のニュースに引っぱられて、今日の自分にまで評価軸を持ち込んでしまった。そこで、今日の小さすぎる抵抗として、私はお昼にちゃんと温かいものを作った。凝った料理じゃない。冷凍うどんに卵を落として、ネギを散らしただけ。
だけど、食べる前に「これは正しい?」って声が出そうになった瞬間、わざと心の中で言った。

「今日は、正しさじゃなくて、温度で決める。」

栄養学でもダイエット法でもなく、ただ“温かい”という理由で食べる。すごく幼稚で、すごく生活っぽい。
それだけで、午前中に縮こまってた胃が、少しほどけた気がした。気のせいかもしれないけど、気のせいでもいい。

今日のささやかな変化は、たぶんこれだ。
「痩せる/痩せない」って大きい言葉に吸い込まれそうになったとき、私は一回、生活の小さな物差しに戻ってもいい。温度とか、眠さとか、部屋の空気とか、そういう“測りにくいもの”で自分を扱っていい。

もちろん、体重や健康が大事じゃないって話じゃない。必要な医療がある人は、医師と相談して安全に進めるのが前提だと思う。
でも、少なくとも私みたいな、ニュースを読んだだけでコンビニのおにぎりが怖くなるタイプは、いったん深呼吸して、「今日は何がしんどいの?」って自分に聞き直したほうがいい日がある。

…あなたはどうだろう。
今日、ニュースの“正しさ”に引っぱられて、ほんとは関係ないはずのことで自分を採点してしまった瞬間、なかった?

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