説明しなくていい夜に食べたい、国産野菜のヴィーガンラーメンが静かに沁みる理由

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ヴィーガンラーメン
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今日は「説明したくない自分」を守るために、ヴィーガンラーメンを選んだ

ヴィーガンラーメン

玄関のドアを閉めた瞬間、部屋の静けさがいっぺんに押し寄せてきた。外は二月っぽい冷たい風で、コートの裾に入り込んだ冷気がまだ身体の中に残っている。コンビニで買ったお茶をテーブルに置いて、スマホを見ようとして、やめた。今日はもう、何かを読んで何かを比べて何かに追い立てられる気分になりたくなくて。

小さな出来事は、それより少し前、会社の休憩室で起きた。コーヒーメーカーの前に人が溜まりやすいあの狭い空間で、紙コップを持ったまま立ち話が始まると、逃げるタイミングを失う。私はいつも、洗ったスプーンを拭くふりとか、コピー機の紙を補充するふりとか、そういう“用事の仮面”で場を抜けるのに、今日はなぜかそれができなかった。たぶん午前中の会議で、上司の一言に小さく刺されて、心のHPがもう残っていなかった。

昼休み、同僚が「最近、ヴィーガンって流行ってるよね」と、たぶん世間話のつもりで言った。そこからなぜか話題が「そういうのって意識高い系?」とか「結局なに食べるの?」とか、軽い笑いと一緒に転がり始めて、私は笑って相づちを打ったまま、口の中だけが乾いていった。誰かが悪意を持っているわけじゃないのに、悪意がない会話ほど、あとから自分の中で処理できない。帰りの電車で反芻して、夜になってもまだ舌の裏に残る、みたいな。

誰にも言わなかった本音は、たぶんこれだ。
“私は、別に立派な理由があるわけじゃないのに、何かを選ぶたびに、説明を求められるのがしんどい。”

ヴィーガンかどうかって、ほんとは食べ物の話のはずなのに、いつの間にかその人の人格とか価値観の採点みたいになるときがある。私は誰かを責めたいわけでも、正しさを掲げたいわけでもない。だけど、ちょっと野菜多めのものを選びたい日があるし、動物性や魚介のエキスが入っていないものを「今日はこれにしよう」って思う日もある。ただそれだけなのに、質問に答えるうちに、なぜか私が“どっち側の人”なのかジャッジされる感じがして、心がちょっと縮む。

「気にしすぎかな」と思って、さらに縮む。わかる…こういう自己反省って、結局自分の味方が一人減る感じがする。

そんなことがあったから、帰り道、ラーメン屋の前を通ったときも、なぜか入れなかった。店の前に並ぶ人の背中が、みんな自分の“正解”を持っている人みたいに見えてしまった。私はただ空腹を満たしたいだけなのに、その“ただ”がうまくできない日がある。

駅のホームで、母から「寒いからちゃんと食べてね」とだけLINEが来た。心配してくれてるのは分かるのに、その“ちゃんと”が今日は重かった。ちゃんと、って言葉は、私がうまくできていないことを全部まとめて指差してくるときがあるから。既読をつけて、返事はしないままポケットにしまった。

家に着いて、宅配ボックスの通知を確認して、鍵を回した。エレベーターの鏡に映る自分が、思っていたより疲れていて、思わず笑ってしまった。自分の顔に対して「うわ、今日の私、保存状態わる…」って言ってしまうあの感じ。笑えるのに、ちょっと泣きたい。

途中で思い出したのが、楽天で見つけたMaazel Maazel(マーゼルマーゼル)のヴィーガンラーメン。34種類の国産野菜と米こうじを練り込んだ麺、動物性エキス・魚介エキス不使用の“野菜麺+野菜スープ”という説明が、やけに静かで、押しつけがましくなくて、逆に刺さった。
「体にやさしく、ちゃんと美味しい」って言い切るところも、なんだか可愛げがある。



玄関先の段ボールが、私の逃げ場所になった

ヴィーガンラーメン

宅配ボックスから取り出した箱は思ったより軽かった。軽いのに、なんか頼もしい。こういう感覚、私だけかな。大げさだけど、今日は“家に帰ったら味方がいる”みたいな気持ちになってしまった。

箱を開けると、醤油・味噌・柚子塩・謹製野菜だしの4種類が入ったセットで、8食分。

こういう“家にストックがある安心”って、誰かと暮らしていなくても成立するんだ、と最近やっと分かってきた。冷蔵庫の中身が少ないと、自分の未来まで薄く感じる日がある。逆に、引き出しに乾麺があるだけで、明日の自分をちょっと信用できる。

私はヴィーガンとして生きているわけじゃない。だから、こういうものを選ぶときに、いつもどこかで「中途半端」って言葉が頭をよぎる。でも今日の私は、そこをいったん棚に上げた。中途半端でもいいから、今夜の自分を傷つけない選択をしたい。そういう夜が、たまにある。

お湯を沸かして、麺を茹でて、スープを溶かす。鍋の中で麺がほどけていくのを見ていると、頭の中の絡まった糸も、同じようにほどけたらいいのにと思う。現実はそう簡単じゃないけど、湯気ってだけで人は少し落ち着く。

私はいつからだろう、食事を“ちゃんとした生活の証拠”みたいに扱うようになったのは。自炊できた日=いい日、できなかった日=だめな日、みたいに。そういう採点を自分にしているから、誰かの会話で「意識高い」とか言われると、勝手にテスト用紙を突きつけられた気分になる。


「好き」の理由を語らない自由がほしい

ヴィーガンラーメン

最初に選んだのは醤油。あっさり醤油、と書いてあったから。
器に盛った麺は、いつものインスタント麺の雰囲気と違って、なんとなく“色”がある。野菜ペーストと米こうじが練り込まれているらしい。
スープも、パンチというより、じわっと来る。野菜のうま味って、こういう“後から追いつく”タイプの美味しさなんだな、と思った。

食べながら、昼の会話を思い出してしまって、私は一瞬だけ眉間に力が入った。たぶん私は、説明することに疲れたんじゃなくて、「説明できるほどの大義名分がない自分」を責められるのが怖かったんだと思う。

たとえば「環境のため」とか「動物福祉のため」とか、言葉にできる理由があれば、質問が来ても耐えられる気がする。でも私の理由はもっと小さい。「今日は胃が重い気がする」とか、「夜に罪悪感を増やしたくない」とか、「ただ、この味を試したい」とか。小さすぎて、人に言うほどじゃない、と自分で決めつけてしまう。

だけど、小さい理由で選んだものが、案外ちゃんと美味しいと、「小ささ」を恥ずかしがる必要ないのかも、って思える。
“誰かに説明できる理由じゃなくても、私が私に納得できればそれでいい”——この言い方は、いつもの結論っぽいから、今日はここで止めておく。そう簡単に気持ちは整わないし、明日また同じ場面に遭遇したら、私はまた笑って誤魔化す気がする。

ただ、少なくとも今夜は、ラーメンをすすりながら「自分の選択を守る」って感覚を思い出せた。それが、今日の小さな変化。

食べ終わって、シンクに器を置いたあと、ふと“写真を撮らなかった”ことに気づいた。私は普段、何か新しいものを食べると、つい記録したくなる。ブログのためとか、SNSのためとか、言い訳はいくらでもあるけど、たぶん本音は「私の生活、ちゃんと回ってます」って自分で確認したいだけ。でも今日は撮らなかった。撮らないことが、ちょっと嬉しかった。誰に見せなくても成立する夜って、こんな感じなんだ。


“やさしさ”を、見せびらかさずに持っていたい

二杯目を作るほどの胃袋はないから、残りの種類を眺める。ピリ辛味噌、さっぱり柚子塩、そしてクリーミーな野菜だし。
味の幅があるって、それだけで救いになる。私は“食の選択”に限らず、仕事でも人間関係でも、すぐに一つの型に自分を押し込めようとしてしまう。几帳面な人、気が利く人、優しい人、ちゃんとしてる人。そういうラベルを貼ると、周りも自分も楽になるから。でも、ラベルって一回貼ると剥がすのが難しい。剥がそうとすると「え、キャラ変?」みたいに言われる。だから私は、最初からラベルを貼られないように、何も選ばないふりをすることがある。

今日の休憩室で私がしんどかったのは、ヴィーガンという言葉の是非じゃなくて、“選ぶ=説明責任が発生する”みたいな空気だった。選ぶだけで、何かの代表者にされる。私はただの私でいたいのに。

たぶん私は、“やさしいこと”をしたいというより、“やさしい人に見られたい”欲と、“やさしさを疑われたくない”恐れの間で、ずっと小刻みに揺れている。しかもそれを自覚したくないから、普段は忙しさのせいにしている。
こういう自分のずるさを、今日はラーメンが静かに照らしてきた気がする。照らされるのって恥ずかしいけど、暗闇よりはまし。

ヴィーガンという言葉が持つ強さに、私はちょっと怯えていたのかもしれない。強い言葉は、強い人に似合う。私はそんなに強くない。だから、強い言葉の服を着るくらいなら、あえて何も言わずに、ただ家で一杯のラーメンを作るほうが自分に合ってる。

Maazel Maazelのヴィーガンラーメンは、動物性エキス・魚介エキスを使わず、34種類の国産野菜と米こうじを麺に練り込んでいる、という情報がちゃんと前に出ているのに、どこか押しつけがましくない。
それが、今日の私にちょうどよかった。


夜の窓に映った自分は、昼より少しだけ肩の力が抜けていた。たった一杯のラーメンで、世界が変わるわけじゃない。だけど、私は「説明したくない夜」を過ごすための逃げ道を、ひとつ増やした気がする。

明日また誰かに「それってどういう理由?」と聞かれたら、私はたぶん、うまく答えられない。うまく答えられない自分を、また少し嫌いになるかもしれない。
それでも、今日みたいな夜があるなら、その嫌い方も、少しだけ丸くなるのかな。

残りの味のことを考える。柚子塩は、たぶん疲れた平日の夜にちょうどいい。味噌は“ピリ辛”って書いてあったから、気分が沈んでる日に刺激として効きそうだし、謹製野菜だしのクリーミーさは、週末に部屋着でだらだらする日に似合いそう。

そうやって“未来の自分”に当てはめていく時間が、意外と好きだ。未来を大きく語るのは怖いのに、ラーメンの種類で未来を考えるのは平気。私の胆力って、たぶんその程度。

もしかしたら私は、ヴィーガンラーメンを食べたかったんじゃなくて、「今日の私を説明せずに済む場所」を食べたかったのかもしれない。家の中で、湯気の前で、黙ってすすって、ただ美味しいって思う。それだけで、私は少しだけ回復する。回復って、ドラマみたいに劇的じゃなくて、こういう地味なものなんだね。

あなたは、誰かに説明できないまま守っている“選択”って、ありますか。


ヴィーガンラーメン

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