金曜の夜は自由なのに土曜の朝なぜか早起きしてしまう社会人の休日あるあると小さな違和感

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休日なのに早起きしてしまう朝の不思議、社会人になって気づいた心と体のズレ

金曜日の夜、帰り道のコンビニで炭酸水と小さいチョコを買った。
絶対に必要なものではないのに、「今日は一週間が終わったから」という、誰に見せるでもない言い訳がちゃんと用意されていた。

外はまだ少し寒くて、でも真冬みたいな刺さる寒さではなくて、春の手前の、気持ちだけ先にほどけていくような空気だった。
信号待ちをしながら、明日は休みだ、と思った。
アラームをかけなくていい。
寝る時間を気にしなくていい。
洗濯を朝いちで回さなくても、誰にも怒られない。
夜更かししてもいいし、動画をだらだら見てもいいし、途中で寝落ちしても、別に問題は起きない。

そういう「自由」がちゃんとある夜だった。

なのに、土曜日の朝になると、なぜか目が覚める。
しかも、平日より少しだけ早いくらいの時間に。

カーテンの隙間から入ってくる光で、あ、朝か、と思う。
スマホを見たら6時18分とかで、絶妙に腹が立つ。
いや、もうちょっと寝かせてよ、と思う。
金曜日の夜にあれだけ「明日は好きにする」と思っていたのに、肝心の土曜日の朝の私は、何にも好きにできていない。

寝ようと思って目を閉じる。
でも、一回起きた意識はなかなか戻ってくれない。
鳥の声とか、遠くの車の音とか、冷蔵庫の微かな作動音とか、普段なら存在すら気づかないものが、やけに耳に入ってくる。
頭の中だけが先に起動してしまって、「あ、洗濯どうしよう」「シーツ替えるなら今日か」「この前LINE返してないな」みたいなことが、小さく、小さく並び始める。

別に今日じゃなくていいことばかりなのに。
むしろ、今日くらい何もしなくてもいいはずなのに。

私はたぶん、土曜日の朝に早く起きてしまうことを、長いあいだ「もったいないこと」だと思っていた。
せっかくの休みなのに。
自由な時間を、なぜ寝ることにうまく使えないんだろうって。
平日にあれだけ眠いくせに、なぜ休日の朝だけは目が冴えるのか。
身体って、もっと融通がきくものじゃないのか。
そういう、うまくいかなさに毎週ちょっとだけ傷ついていた。

たぶんこれは、ものすごく大きな失敗じゃない。
誰かに話して「わかる!」と盛り上がるほど派手な出来事でもない。
でも、こういう小さいズレって、意外と自分の本音をよく映す。

金曜日の夜の私は、自由になったつもりでいる。
一週間の終わりに解放されて、社会人としての役割をいったん脱いで、自分の時間に戻ったつもりでいる。
だけど土曜日の朝、身体だけはまだ平日のままで、ちゃんと決まった時刻に目を覚ます。
頭より先に、習慣のほうが起きてしまう。

少しだけ事実の話をすると、睡眠は「たくさん寝ればそれで整う」という単純なものではなくて、体内時計のリズムと、眠りの必要量の積み重なりが一緒に働いて調整されているらしい。週末だけ寝る時間や起きる時間がずれると、その差は「ソーシャル・ジェットラグ」と呼ばれることもあって、平日と休日で睡眠のタイミングが食い違う状態として説明されている。さらに、起床時刻はできるだけ一定に保つほうがよい、という案内もある。

でも、私が土曜日の朝に感じるのは、健康情報みたいな「規則正しい生活をしましょう」という話とは少し違う。
もっと情けなくて、もっと地味な感情だ。

せっかく自由なのに、自由をうまく使えない感じ。
休みを手に入れたのに、休み方が下手な感じ。
何をしてもいい日に限って、何をしたいのか自分でもわからなくなる感じ。

それでいて、金曜日の夜にはちゃんと期待している。
今週も大変だった、だから今夜くらいは、という期待。
好きなものを食べようとか、夜更かししようとか、ちょっと高いアイスを食べようとか。
それ自体は別に悪いことじゃない。
むしろ、そういう小さいご褒美がないと、平日の私はずっと味気ない。

ただ、その期待の中には少しだけ、「取り返したい」が混ざっている気がする。
平日に我慢したぶん。
忙しくて置いてきたぶん。
疲れて見ないふりをした気持ちのぶん。
金曜日の夜に私は、失ったものを少しでも回収したいと思っている。

でも、失ったものって、夜更かしひとつでそんなにきれいに埋まらない。
むしろ翌朝、身体だけが正直に「いつもの時間です」と起きてしまって、取り返したかったはずのものが、思ったより深いところにあることを教えてくる。

金曜日の自由は、思ったより薄い

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社会人になって気づいたことのひとつは、自由には「質」があるということだった。

学生のころの休みは、もっと平らだった気がする。
明日が休み、という事実だけで、それなりに大きく自由だった。
予定がなくても成立していたし、昼まで寝ていても罪悪感は今より薄かった。
時間が自分のもの、という感覚が、もう少し素直にあった。

でも社会人の金曜日の夜って、自由ではあるけど、完全な自由ではない。
一週間の疲れをちゃんと引きずっている。
肩も重いし、目も乾くし、心も多少は荒れている。
人と話しすぎた日もあるし、逆に誰ともちゃんと話せなかった日もある。
仕事の失敗を金曜の夕方に思い出すこともあるし、来週の予定がもううっすら頭に入ってきていることもある。

つまり、金曜日の夜の私は、空っぽではない。
解放されているようで、かなり持ち越している。
だから、自由になった瞬間に眠りが深くなるわけでも、翌朝好きなだけ寝られるわけでもないのかもしれない。

早く目が覚める土曜日の朝って、ある意味で、身体がまだ勤務中なんだと思う。
もう出社しなくていいのに、どこか一部だけ制服を脱ぎ切れていない。
そう考えると、少しだけ切ない。

しかも、土曜日の朝に早く起きる自分に対して、私はたいてい二重でがっかりする。
まず、たくさん寝られなかったことにがっかりする。
その次に、せっかく早起きしたのに、別に立派なこともできない自分にがっかりする。

これが、地味に嫌だ。

早く起きたなら、朝活すればいいのに。
本を読むとか、白湯を飲むとか、散歩するとか。
インスタで見た「整ってる人」みたいに、静かな朝を有効活用できたら、まだ気持ちよく納得できる。
でも現実は、ベッドの中でスマホを見て、どうでもいいショート動画を何本か見て、ちょっと寒いなと思いながら布団にくるまっているうちに、1時間くらい経っている。

自由に起きたのに、自由を持て余す。
この感じが、なんとも言えず情けない。

たぶん私は、金曜日の夜に「土曜日の自分」を理想化しすぎている。
明日の私はもっと元気で、もっとやさしくて、もっと機嫌よく休日を使えるはずだと思っている。
平日に片づけられなかったことも、土曜日なら少し軽くできる気がしている。
部屋の片づけも、スーパーの買い出しも、気になっていた連絡の返信も、読みかけの本も、美容室の予約も。
全部は無理でも、少しは前に進むつもりでいる。

でも土曜日の朝の私は、そこまで万能じゃない。
むしろ、平日に溜めたものを静かに引き継いだ、ただの疲れた人間だ。

その事実に毎週少し驚いて、毎週少しがっかりする。
そしてそのがっかりは、人に話すほどの重さじゃないから、たいてい誰にも言わない。
言わないまま、コーヒーを淹れて、洗濯機を回して、なんとなく一日を始める。
たぶんそれが、大人の「うまくいかなかったこと」なんだと思う。
大事故じゃない。
でも、期待していたほど軽やかに生きられなかった、という小さな未達。

不眠や早朝覚醒という言葉は医学的にはもっと広い意味で使われるけれど、早く目が覚める背景には体内リズムが前に寄っていることや、覚醒の高さが関係する場合があると説明されることがある。いわゆる不眠では「過覚醒」の考え方もよく取り上げられていて、休める状況でも脳や心身がうまく休息モードに落ちにくい、という見方がある。もちろん、週末に少し早く目覚めることがそのまま病気を意味するわけではないけれど、「休みだから深く眠れるはず」と単純にいかない理由としては、こういう話は少ししっくりくる。

私はたぶん、眠れていないというより、休み方がまだ身体に伝わっていない。
休んでいいよ、と頭では思っているのに、身体のほうはまだ「いつも通り」をやめてくれない。
それって、よく考えたらすごく社会人っぽい。
ちゃんとしてしまうことが先に身につく。
抜くことより、合わせることのほうが得意になる。
そうやって何年か過ごしているうちに、土曜日の朝にまで平日の癖が残る。

それは真面目だから、なのかもしれないし。
ただ年齢を重ねて、習慣が定着しただけなのかもしれないし。
あるいは、金曜の夜に解放感があるぶん、土曜の朝には逆に、置いておいた現実が戻ってくるのかもしれない。

まだ、どれとも言い切れない。

早起きした朝に、うまくなれない自分のこと

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前に一度、土曜日の朝6時台に起きてしまったとき、「じゃあ今日は気持ちよく過ごそう」と思って、朝から近所のカフェに行ったことがある。
そういう休日、少し憧れていたから。

まだ人の少ない道を歩いて、少し冷たい空気を吸って、開店したばかりの店でコーヒーを頼んだ。
窓際の席に座って、本でも読めたらよかった。
それだけで、ちゃんと整った大人っぽい朝になるはずだった。

でも、実際の私は、コーヒーを飲みながらぼんやりして、スマホを見て、昨日の仕事のやりとりを思い出して、なんとなく心が休まらなくて、結局一時間もしないうちに店を出た。
朝の光はきれいだったし、コーヒーもおいしかった。
それなのに、期待していたような「満たされた休日の始まり」にはならなかった。

あのとき私は、少しだけモヤっとした。
せっかく理想みたいなことをしたのに、なんでちゃんと満たされないんだろうって。

たぶん、場面だけ整えてもだめなんだと思う。
朝のカフェとか、早起きとか、ていねいな暮らしっぽい行動とか。
そういうものはたしかに気分を助けてくれることもあるけれど、中にいる私まで一気に整えてくれるわけじゃない。

金曜日の夜に欲しかった自由と、土曜日の朝に必要だった休息は、似ているようで少し違う。
自由は「選べること」で、休息は「ほどけること」なのかもしれない。
私は金曜日の夜、選べることには喜んでいる。
でも、ほどけることは、意外と下手だ。

ここがたぶん、誰にも言わなかった感情だ。
休みが楽しみじゃないわけじゃない。
でも、休みを前にすると少し焦る。
この二日で回復しなきゃ。
片づけなきゃ。
気分を戻さなきゃ。
ちゃんと自分を取り戻さなきゃ。
そんなふうに、休日にまで「成果」みたいなものを求めている。

だから土曜日の朝、早く目が覚めた瞬間に、心のどこかが勤務を再開してしまう。
あ、時間ある、何かしなきゃ、というふうに。

本当はその逆でいいはずなのに。
何もしなくていい日の朝なんて、目が覚めても、もう一回寝ても、布団の中でただ天井を見ていてもいいはずなのに。
でも、それができない。
できない自分を責めるほどではないけれど、少しだけ残念に思っている。

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それに、土曜日の朝が早いと、一日が長くなる。
一日が長いのは得なことのようで、実は少しだけ怖い。
長い時間を前にすると、自分の機嫌をずっと保たなきゃいけない気がするから。
午後には何となくだれて、夕方には「何もできなかったかも」と思って、夜には日曜が見えてくる。
自由な時間が増えるほど、自分の使い方の下手さも見えてしまう。

だから私は、土曜日の朝に早く目が覚めるたび、少しだけ試されている気がしていた。
自由をどう使うの。
疲れをどうほどくの。
ひとりの時間を、ちゃんと味方にできるの。
そう聞かれている気がして、うまく答えられずにいた。

けれど最近は、うまく答えられないままでもいいのかもしれない、と思い始めている。
毎週きれいに休めなくても。
土曜日の朝に二度寝できなくても。
起きたのに特別なことを何もできなくても。
それでも一週間を終えた自分が、ちゃんと朝を迎えたことには変わりない。

睡眠や体内時計の情報を読むと、週末も起きる時刻を大きくずらさないこと、朝の光を浴びること、生活リズムを一定にすることが勧められている。週末の寝だめは平日の不足を完全には埋められず、むしろリズムを乱すことがあるとも言われている。情報としてはとても正しいし、たぶん助けにもなる。

でも、そういう正しさを知ったあとでも、私はやっぱり思う。
問題は「何時に起きるか」だけじゃなくて、「起きた自分をどう受け止めるか」なんじゃないかって。

土曜日の朝に早く目が覚める。
それ自体は、もしかしたらただの習慣で、体内時計の話で、珍しくもないことなのかもしれない。
だけど、そのあとに「せっかくなのに」「またちゃんと休めなかった」「上手に生きられない」と思ってしまうところに、私の今の疲れ方とか、働き方とか、期待の置き方みたいなものが滲んでいる。

そう考えると、土曜日の朝って少しだけ残酷だ。
平日の私は忙しさで見ないふりができる。
日曜日の私は翌日を気にしてしまう。
でも土曜日の朝だけは、まだ何も始まっていなくて、何も言い訳がない。
だから、自分の小さい違和感がよく見える。

自由なのに、休めていない。
休みなのに、焦っている。
何も起きていないのに、少しだけうまくいっていない。
そういう言葉になりにくい感情が、いちばん出やすい時間なのかもしれない。

たぶんこれからも、私は金曜日の夜に「明日は好きにしよう」と思うし、土曜日の朝にわりと早く目が覚める。
そのたびに、少しだけ悔しい気持ちにもなると思う。
でも最近は、その悔しさをすぐ改善しようとしなくてもいいのかな、とも思う。

土曜日の朝に早く起きる私は、休日の使い方が下手な人じゃなくて、平日をちゃんとやりすごしてきた人なのかもしれない。
自由に慣れていないだけで。
ほどけ方をまだ知らないだけで。
だからうまく眠れなかった、ではなくて、まだ身体が仕事の外し方を覚えきれていない、と考えるほうが、少しだけやさしい。

問い、というほど立派ではないけれど、最近ひとつ思う。
人は本当に「休み」を手に入れれば休めるんだろうか。
時間が空いたら、ちゃんと軽くなれるんだろうか。
それとも休むって、予定や時間の問題じゃなくて、もう少し練習がいることなんだろうか。

まだ答えはない。
たぶん来週の金曜日にも、私はまた同じことを思う。
自由だ、と思って。
そして土曜日の朝、少し早く目が覚めて、カーテンの隙間の光を見ながら、ああまたか、と小さく笑う。

それでも、その朝を嫌い切れないのは、
たぶんそこに、ちゃんと自分の本音が起きているからだ。

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