
二十二時を少し過ぎたころ、駅前のコンビニは昼間よりやさしい顔をしている気がする。
自動ドアが開いた瞬間の、あの少しだけ甘いような、揚げ物と洗剤とコーヒーが混ざった匂いは、疲れている日に限って妙に安心する。
レジ横のホットスナックのケースがまだ明るくて、棚のいちばん端には、春限定のチョコがきれいに並んでいて、冷蔵ケースの前で立ち止まった私は、自分でも笑うくらい自然に、カゴにカフェラテと小さめのスイーツを入れていた。
帰り道の途中までは、今日はちゃんとしようと思っていた。昼にサラダを選んだし、エレベーターじゃなくて階段も使ったし、夕飯だって軽めで済ませるつもりだった。
でも、そういう「今日はちゃんとする」は、だいたい二十一時を過ぎると急に頼りなくなる。仕事が終わって、LINEの返信もして、愛想よく相づちを打って、特に褒められることもなく一日が閉じようとすると、体じゃなくて気持ちのほうが「何かほしい」と言い出す。たぶん空腹ではない。けれど、空腹みたいな顔をして近づいてくる何かがある。
痩せたい、とは思っている。
思っているから、鏡の前でお腹に力を入れてみたり、通販サイトで脚が細く見えるパンツを探したり、寝る前に急にストレッチ動画を流したりもする。
なのに、帰りにコンビニへ寄る。しかも、寄るときの足取りだけはやけに迷いがない。
あれは何なんだろうと思う。意志が弱い、と言ってしまえば話は早いのかもしれないけれど、なんだかその言い方には、今日いちにち黙って飲み込んだものが全部なかったことにされる感じがして、少しだけ腹が立つ。
昼休みに見たSNSで、学生時代の友達がジム帰りの自撮りを上げていた。
細いウエスト、整った食事、透明なプロテインシェイカー。すごいな、えらいな、と思ったあとに、自分のデスクの引き出しに入っている飴を思い出して、見なかったことにした。
こういう小さい嫉妬は、口に出すほどでもないから、だいたい喉の奥に引っかかるだけで終わる。誰にも見せないし、見せたところで感じが悪いだけだし。けれど、その引っかかりはちゃんと残って、夜になると「どうせ私なんて」の手前あたりで、形を変えて空腹のふりをする。
コンビニで甘いものを買うとき、私はいつも少しだけ演技をする。
「今日は特別」
「生理前っぽいし」
「これくらいなら全然」
「明日調整すればいいし」
言い訳の種類だけは豊富で、たぶんそこだけ見たらかなり手慣れている。自分へのツッコミももうセットみたいなもので、レジに並びながら、いや、毎回“今日だけ”って言ってるよね、と思う。
けれど、そのみっともなさがわかっていても、買うのをやめるほどではない。小さな恥って、案外、人を止めない。むしろ「ここまで来たんだから」のほうが勝つ。
この前、会社で隣の席の人が何気なく、「最近、頑張った日は帰りに甘いもの買わないと無理なんですよね」と言っていた。たぶん軽口だったんだと思う。笑いながら言っていたし、そのあと普通にメールを打ち始めていた。
でも、その言葉だけが妙に残った。無理なんですよね、のあたりが、少しだけ切実で。ああ、そうか、と思った。あれは“食べたい”だけじゃなくて、“今日の終わりに何か受け取りたい”なのかもしれない、と。
一日をちゃんと終えた証明みたいなものがほしい夜がある。誰にも拍手されないし、何かを達成したわけでもない。ただ遅刻せずに起きて、仕事をして、空気を読みすぎて少し疲れて、余計なひと言は飲み込んで、帰り道で明日の天気を確認して、それで終わる一日。
そういう日の「おつかれさま」は、自分で自分に渡すしかない。コンビニのスイーツは、その代役としてかなり優秀で、明るくて、甘くて、すぐ手に入る。
参考サイトの「からだ楽痩茶」を見ていたら、そこにあったのは、気合いの話というより、習慣の話に近かった。
商品ページでは、食事制限やカロリー制限のつらさに触れつつ、「我慢や強い意志は必要ありません」と打ち出していて、桑の葉やギムネマなど8種類の成分を配合、カフェインは不検出、GMP認定を受けた国内工場で製造、LINEで専門家に無料相談できる設計だと案内されていた。
定期コースには回数の縛りがなく、次回お届け予定日の10日前までに連絡すれば解約できるらしい。売り方として上手だな、と思いながら、その“根性論じゃない言い方”にだけは少し救われた。夜の自分に必要なのは、たぶん叱る声より、そういう逃げ道のある言葉なんだと思う。
もちろん、お茶を飲めば全部うまくいく、みたいな話ではないんだろう。そういう単純さを、もうあまり信じていない年齢でもある。
けれど、痩せたい気持ちと、甘いものを食べたい気持ちが、同じ体の中に同時にあることを、どちらかだけ偽物みたいに扱わなくていいのなら、それだけで少し楽になる。片方だけを本音にして、もう片方を怠けだと決めつけるから、毎晩ひとりで裁判みたいになる。
たまに思う。
私が欲しいのは、痩せた体そのものじゃなくて、ちゃんとしている自分、なのかもしれない。
ちゃんとしている人に見える暮らし。
ちゃんとしている食事。
ちゃんとしている夜。
でも、実際の私は、洗い物をシンクに残したままソファに倒れこんで、動画を流しながらコンビニのプリンを食べて、その空容器を捨てるのは明日の朝だったりする。
そこまで含めて生活なのに、その一部だけを切り取って、自分にがっかりするのは、少し忙しすぎる。
それに、誰にも言わないけれど、私は“頑張ったご褒美”がないと、わりと機嫌よく生きられない。
高いバッグじゃなくていいし、豪華な外食じゃなくてもいい。
帰り道のコンビニで買う、百何十円かの甘いものとか、湯気の立つカフェラテとか、そのくらいでなんとか明日につながる夜がある。そういう自分を甘やかしすぎだと思う日もあるけれど、甘やかされないまま固くなっていくよりは、少しましなのかもしれない、とも思う。
これって、私だけなんだろうか。
みんな、痩せたいと言いながら、別の形で今日の疲れをなだめているんじゃないだろうか。
まっすぐ家に帰れる日と、コンビニの灯りに吸い寄せられる日の違いは、食欲だけで説明できるんだろうか。
買ってきたスイーツのふたを開けるとき、部屋はしんとしていて、冷蔵庫の低い音だけがしている。そういう静けさの中でひとくち目を食べると、ああ、今日も終わったんだな、と少しだけ体がゆるむ。その感じを知ってしまっているから、明日もたぶん、同じように許す。
また、明日になれば少し違うことを考えている気もする。





