うまく整えたい日の、自分に限って少し騒がしい

雨ではなかったけれど、空はずっと曇ったままで、夕方の駅前はなんとなく色が薄かった。改札を出た人たちの足取りだけがやけに早くて、私はその流れに少し遅れて歩いていた。
スマホの画面には通知がいくつか溜まっていて、返したほうがいいLINEも、あとで読もうと思ったままのメッセージもあるのに、なぜか今日は全部あと回しにしたかった。
バッグの中で水筒が小さくぶつかる音がして、そのたびに、今日の自分はちゃんと“自分を気にかけている人”みたいだなと思う。そういう見た目だけは、たまに整う。
ホットヨガ×コラーゲンのLucina(ルキナ)は、ホットヨガとコラーゲントリートメントランプを組み合わせたスタジオで、公式では「運動しながら、きれいを補給」をコンセプトにしているらしい。室温38度・湿度65%前後のホット環境や、コラーゲントリートメントランプ、女性向けのプログラムが特徴と案内されていて、店舗によっては駅から近く、体験レッスンも用意されている。
でも、今日の私は、きれいになりたいから行ったというより、少しだけ静かな場所に行きたかったのだと思う。
誰にも何も言われずに、ひとまず一時間くらい、別の生き物みたいに呼吸だけしていたかった。
こういうの、たぶんすごく前向きな理由ではない。
だけど大人になると、前向きな理由だけで自分を動かせる日のほうが少ない。
スタジオに向かう途中、コンビニのガラスに映った自分を見て、思ったより疲れた顔をしているなと思った。ちゃんとメイクはしていたし、髪も一応整っていたのに、目元だけが、朝からずっと何かを気にしている人のままだった。別に大きな出来事があったわけじゃない。
会社で誰かに嫌なことを言われたわけでもないし、恋愛で何かがあったわけでもない。ただ、こういう“別に何も起きていないのに、心だけがざわついている日”が、最近前より少し増えた気がする。
それで、今日は身体を伸ばしたかった。
というより、頭の中の細かいノイズを、汗と一緒に少し流したかった。
今日の出来事

スタジオに入ると、外のくすんだ空気とは別の、少し湿ったあたたかさがあった。受付のあたりは明るすぎない照明で、妙に安心する。更衣室でロッカーを閉める音、誰かがペットボトルのふたを開ける音、遠くでスタッフさんが案内する声。
全部が小さくて、でも生活から切り離されてはいない感じがして、私はそういう中途半端な非日常がわりと好きだ。
Lucinaの案内を見ると、コラーゲントリートメントランプは633nmの可視光線を放出するランプで、全レッスンで使われているとされている。公式や店舗案内では、肌のハリやうるおいなど美容面への期待が書かれていて、ヨガだけでなく“美容も一緒にやる場所”として打ち出されている。
レッスンが始まって、スタジオの中があの赤い光に包まれたとき、私は毎回少しだけ無防備な気持ちになる。薄暗いわけじゃないのに、普段の蛍光灯の下より、むしろ何かが見えやすくなる感じがする。
姿勢の癖とか、肩に力が入っていることとか、呼吸が思ったより浅いこととか。きれいに見える場所に来たはずなのに、ごまかしていたもののほうが先に浮いてくる。
インストラクターの声に合わせて腕を上げて、背中を伸ばして、呼吸を深くする。たったそれだけなのに、今日は妙に途中で情けない気分になった。隣の人と比べたわけじゃない。誰かの体型が気になったわけでもない。ただ、自分の身体がちゃんとここにあることを感じた瞬間に、私はこのところずっと、自分を“使うためのもの”としてしか扱っていなかった気がした。
仕事をするための身体。
愛想よく返事をするための顔。
人に感じよく見えるように整えるための髪。
ちゃんとして見える服を着て、遅れないように電車に乗って、疲れてもスマホを見て、寝る前まで情報を飲み込んで。そうやって毎日を回しているうちに、身体が「私の住んでいる場所」じゃなくて、「何とか社会生活を成立させるための道具」みたいになっていたのかもしれない。
ポーズの途中、前屈したときに、床に落ちた汗が一滴だけマットにしみた。たったそれだけのことなのに、なぜか少し泣きそうになった。もちろん泣いていないし、そんな気配も出していない。周りから見たら、ただ普通にレッスンを受けている人だったと思う。でも心の中では、「ああ、私、最近、自分のことを雑に運んでたんだな」と思っていた。
こういうのって、誰にも言わない。
言ったところで伝わりにくいし、伝わったとしても、たぶん少し大げさに聞こえる。
でも、何も壊れていないのに、自分の内側だけが少しずつ擦り減っていく感じって、ある。
たぶん、あれのことだと思う。
本音

正直に言うと、私は“自分磨き”という言葉に少し疲れている。
もちろん嫌いではない。きれいでいたいし、できるなら機嫌よく暮らしたい。ホットヨガも、身体にいいことをしている感じがして好きだし、コラーゲンとか美容の言葉に弱いのも本当だ。でも、その全部をちゃんと好きなはずなのに、ときどき息苦しくなる。
たぶん私は、「少しでも整えたい」という気持ちと、「いつまで整え続ければ満足するんだろう」という気持ちを、同時に持っている。
レッスンの後半、汗で前髪が少し額に貼りついて、呼吸もだいぶ荒くなっていた。そのとき、誰にも言っていない本音が、急にすごくはっきりした。
私、きれいになりたいんじゃなくて、安心したいんだ、と思った。
でも、安心したいなんて、なんだか情けない。
美容とか運動とか習い事とか、そういう明るい言葉の奥に、「安心したい」がいるのは、少しみじめに感じる。もっと前向きな理由で通っていたい。もっと「自分のために楽しく続けています」みたいな顔をしていたい。だけど実際は、今日の私は、自分を好きになるためというより、自分をこれ以上嫌いにならないために来ていた。
これ、わかる…と思う人、きっといるんじゃないだろうか。
ちゃんとした理由を口にしているときほど、本当の理由はもっと地味で、もっと切実だったりする。
たとえば、新しい服を買うのも、丁寧な朝ごはんを作るのも、サプリを飲むのも、ジムに行くのも、全部が全部キラキラした向上心だけじゃない。
昨日の自分を少し薄めたいとか、今日の機嫌を悪化させたくないとか、誰かと会ったときに変に惨めになりたくないとか、そういう小さくて言いづらい理由が、かなり混ざっている。
私はたぶん、“整っている自分”を目指しているようでいて、本当は“崩れていることが人に見えない自分”を目指しているときがある。
それに気づくと、少し嫌な気持ちになる。
自分のためと言いながら、結局、人の目や社会の空気や、SNSで流れてくる他人のきれいさを、ものすごく気にしている。
しかも、そのことを認めたくない。
認めたら、今までの努力まで少し安っぽく見えてしまいそうで。
更衣室に戻ったとき、鏡の前で化粧直しをしている人が何人かいて、みんなそれぞれ普通だった。とても美しい人もいたし、たぶん仕事帰りで疲れている人もいた。誰も完璧には見えなかったし、誰もそんなことを競っているようには見えなかった。なのに、私の中だけが勝手にざわざわしていた。人と比べているのは、いつだってたいてい自分の中の癖で、相手が本当に何かしてくることは、案外少ない。
だからこそ、余計に厄介だ。
戦っている相手が外にいない日は、逃げ場がない。
今日の気づき
帰り道、外の空気は思ったよりひんやりしていて、スタジオの熱がまだ身体の中に残っていた。駅までの短い道を歩きながら、首元にあたる夜風が少し気持ちよかった。信号待ちのあいだ、スマホを見ようとしてやめた。
せっかく少しだけ静かになった頭の中に、また別の誰かの言葉や写真を流し込みたくなかった。
そのとき思ったのは、今日いちばん効いたのは、ホットヨガそのものでも、コラーゲンの赤い光そのものでもなくて、「一時間、自分を急がせなかったこと」かもしれない、ということだった。
Lucinaではコラーゲントリートメントランプを使ったオリジナルプログラムのほか、ホットヨガやマシンピラティスも案内されていて、駅近の店舗やレンタル用品、体験レッスンなど“通いやすさ”も整えられている。だからこそ、ただ鍛える場所というより、生活の途中で自分を回収しに行く場所として選ばれているのかもしれない、と少し思った。
私はこれまで、何かを続ける理由を、すぐ効果とか結果とか変化で測ろうとしていた。肌がどうなったか、身体がどう変わったか、気分がどれくらい上向いたか。そうやって数えられるものばかり見ていたけれど、本当はもっと曖昧なことのほうが、生活を支えているのかもしれない。
たとえば、今日は少しだけ自分を乱暴に扱わずに済んだとか。
息を止めずに一時間過ごせたとか。
何かを足したというより、余計なものを少し置いてこれたとか。
そういう変化は、たぶん写真にも残らないし、誰かに説明しても「へえ」で終わる。
でも、そういう“人に見せるほどではない回復”がないと、大人の毎日はじわじわ苦しくなる。
新しい視点、なんて言うと少し大げさだけれど、今日ひとつ思ったのは、自分を整えることは、必ずしも自分を好きになるためじゃなくていい、ということだった。
嫌いになりすぎないためでもいいし、雑にしすぎないためでもいいし、ただ今日を無事に終えるためでもいい。
むしろそのくらいの理由のほうが、続くこともある。
理想の自分に会いに行くみたいなまぶしい言い方より、明日の朝の自分を少し困らせないために行く、くらいのほうが、今の私にはしっくりくる。
部屋に帰って、照明を一つだけつける。いつもの少し黄みのある灯り。脱いだ靴下を洗濯かごに入れて、バッグから水筒を出して、ベッドの上にスマホを放る。窓の外では遠くを走る車の音がしていて、部屋の中は静かなのに、完全な無音ではない。そういう夜だった。
鏡を見ると、顔は少し赤くて、思ったより生きている感じがした。
すごく前向きになったわけじゃないし、急に何かが解決したわけでもない。明日になればまた、どうでもいいことで落ち込むかもしれないし、SNSを見て勝手に比べてしまうかもしれない。そういう自分が急にいなくなることは、たぶんない。
でも今日は、少なくとも、疲れている自分を“なかったこと”にしないで済んだ。
それだけで十分、とはまだ言えないけれど、そういう夜がたまにあると、生活は少しだけ持ち直す。
きれいになりたい、より先に、雑に生きたくない。
今日、私がホットヨガの帰り道で持ち帰ったのは、たぶんそのくらいの気持ちだった。
それはたぶん、誰かに自慢するほど前向きではない。
でも、妙に本当だった。
そして本当のことって、案外そういう、少し地味な顔をしている。





