「我慢できる人」じゃなくて、「戻れる人」が強いって話を、食事以外のことで思い出した日

朝、カーテンの隙間から入ってきた光がやけに白くて、冬ってこんなに“明るい顔して冷たい”んだっけ、と布団の中で一瞬だけ現実逃避しました。
昨夜は寝る前に「明日はちゃんと整える日」って決めて、机の上の紙の山も、洗い物も、返信しなきゃいけないメッセージも、全部いったん見ないふりをして眠ったんです。決めたというより、見ないふりを“採用”した、みたいな感じ。
そういう夜って、翌朝の自分にちょっと期待してる。ちゃんと起きて、ちゃんと動いて、ちゃんと取り戻す、みたいな。
でも、現実の私は起きた瞬間からもう少しだけ疲れていて、まぶたの裏に、昨日の“先送り”が薄い影みたいに張り付いていました。気合を入れ直そうとして冷蔵庫を開けるのに、なぜか先にスマホを触ってしまう。画面の光のほうが、朝の光よりも近いんだよな、と自分に呆れながら。
今日の小さな出来事は、その直後に起きました。
洗濯機に洗剤を入れようとして、手が滑って、キャップのあたりがうまく締まっていなかったらしく、洗剤がとろっと床に落ちたんです。最初は小さな水たまりみたいに見えたのに、じわじわ広がって、気づけば薄い膜になって、足の裏が“ぬるっ”と嫌な感触になって。
それだけのことなのに、なぜか胸の奥が「もうだめだ」みたいに重くなりました。洗剤ひとつこぼしただけで。
床にしゃがんで、ティッシュを何枚も使って、拭いても拭いてもぬるぬるが残って、結局お湯を持ってきて、もう一度拭いて、最後に乾いた布で仕上げて。
たぶん、五分もかかってない。だけどその五分の間、頭の中はずっと別のことでいっぱいでした。
「どうして私は、いつもこうなんだろう」って。
しかも、声に出すのが恥ずかしいくらい、子どもっぽい言い方で。
誰にも言わなかった本音は、もっと正直で、もっと情けなかったです。
“私って、ちゃんと生きるのに向いてないのかもしれない”って、一瞬だけ思った。
洗剤をこぼした床を拭きながら、そんな大げさな結論に飛ぶ自分が、我ながら面倒くさいのに止められなくて、心の中で自分にツッコミを入れる余裕もなくて、ただ黙々と拭きました。
これ、わかる人いると思う。小さな失敗が、その日ぜんぶの評価を奪っていく感じ。
ここから先は、きれいな話にしたいわけじゃなくて、今日の私が気づいた“ちいさな違和感”の話です。
洗剤を拭き終えて立ち上がったとき、床は一応きれいになっていたのに、気持ちは全然きれいになっていなくて、むしろ「ほらやっぱり私、雑」って、心だけがべたべたしていた。
でも、そのべたべたって、洗剤のせいじゃなくて、“朝から完璧に戻すつもりだった自分”が崩れたことへの腹立ちだったんだと思います。
「失敗そのもの」より、「失敗を口実にする自分」がしんどい
洗剤をこぼすなんて、別に人生の大問題じゃない。
なのに、私の中ではよくある流れが発動するんです。
「こぼした」→「私って雑」→「だからうまくいかない」→「今日はもう全部だめ」みたいな、勝手に長編ドラマが始まる。しかも脚本が、やたら暗い。
そのドラマの厄介なところって、失敗を“証拠”にしてしまうところで、洗剤はただの洗剤なのに、「ほら見て、私ってこういう人間」って、自分を裁く材料に変換してしまう。
今日、床を拭きながら気づいたのは、私は失敗して落ち込んでいるんじゃなくて、「落ち込む理由を、失敗から作っている」瞬間がある、ということでした。
たぶん、昨日から疲れていた。
たぶん、先送りしたものが頭の奥に残っていた。
たぶん、朝の光が白くて冷たかったせいもある。
それなのに、私の中の“厳しい監督”が、洗剤こぼしを見て「ほら、ここだ!」ってホイッスルを吹いた。
そして私は、監督の声を真面目に聞いてしまう。
ここが、しんどさの正体なんだと思います。
失敗の処理は五分で終わるのに、自己裁判は一日続く。
だったら、裁判のほうを先に止めたいのに、止め方がわからない。
取り戻すのは「部屋」じゃなくて、「呼吸」だった
洗剤を拭き終えた後、私はなぜか、窓を少しだけ開けました。
空気の入れ替えなんて、ふだんは気が向いたときにしかしないのに。
冷たい風が入ってきて、カーテンがゆっくり揺れて、部屋の匂いが少し変わった。
その瞬間、ようやく気づいたんです。
私は「整えなきゃ」って思うとき、部屋とか予定とか、目に見えるものから取り戻そうとするけど、本当は最初に戻すべきものって、呼吸とか、目線とか、“今ここ”の感覚だったんだなって。
床がぬるぬるしたとき、私の呼吸は浅くなっていて、肩が上がって、頭の中だけが忙しくて、体だけが置いていかれていた。
だから、ちょっとした失敗が、やけに大きく感じた。
体がここにいないと、心はすぐ過去や未来に飛んで、「どうせ私」みたいな言葉を拾ってきてしまう。
窓を開ける。
深呼吸する。
たったそれだけなのに、床を拭くより先にやっていたら、あんなに暗いドラマは始まらなかったかもしれない。
今日の私にとっては、それが“戻し方”の入り口でした。
「ちゃんとしなきゃ」を先に置かない。
「いま息してる?」を先に確認する。
こういう小ささって、地味すぎて誰にも褒められないけど、私には必要だった。
「完璧に戻す」じゃなくて、「戻れる地点を作る」っていう発想
もうひとつ、今日だけの気づきがあって。
私は「リセット」って言葉を、どこかで“ゼロに戻すこと”だと思っていたんです。
つまり、散らかったら完璧に片づけて、遅れたら取り返して、崩れたら理想の自分に戻る、みたいな。
でも現実って、ゼロには戻らない。
昨日の先送りは消えないし、疲れも一瞬では抜けないし、洗剤をこぼした床は乾くまでちょっとペタペタする。
そこで私が無理にゼロを目指すと、だいたい反動が来る。
頑張って整えたつもりなのに、夕方には燃え尽きて、また散らかして、また自己嫌悪して、のループ。
今日、床を拭きながらふと思ったのは、リセットって“ゼロに戻る”ことじゃなくて、“戻れる地点を自分の中に何個か作っておく”ことなのかもしれない、ということでした。
たとえば、
・窓を開ける(空気を変える)
・洗面台で手だけ洗う(顔じゃなくてもいい)
・コップ一杯の水を飲む
・タイマーを5分だけかける(全部やらない)
こういう「戻る用の小さなスイッチ」を、あらかじめ用意しておく。
大きな決意じゃなくて、ミニサイズの帰還ポイント。
ゲームみたいだけど、私にはこの発想がちょっと救いでした。
だって、完璧を目指すより、「戻れる」って思えるほうが、ずっと現実的だから。
そして、現実的なほうが、たぶん続く。
私たちって、頑張れる日もあるけど、頑張れない日も同じ数だけある。
そのときに必要なのは、根性じゃなくて、戻り方の設計なんだと思う。
…って、こんなことを書きながら、私はまだ洗剤の匂いが少し残っている部屋で、洗濯が回る音を聞いています。完璧じゃない証拠みたいに。
今日の出来事は、洗剤をこぼした、それだけでした。
でもその“それだけ”の中に、私がいつもやりがちな「自分を裁くクセ」と、意外と見落としていた「呼吸の浅さ」と、「戻れる地点を作る」っていう小さな方法が隠れていた。
そして、ここがいちばん言いたいところなんだけど、私はまだ「自分を責めない」なんて上手にできません。
責めそうになる。普通に。すぐに。
ただ、責め始めたときに、「あ、いまドラマ始まった」って気づける瞬間が、ほんの少しだけ増えた気がする。
それはたぶん、前進というより、生活の中に“引き返し方”が増えただけ。
ねえ、あなたにもありませんか。
ほんの小さなことで、今日ぜんぶがダメに見えてしまう日。
そのとき、あなたはどこに戻れたら、少しだけ楽になりそうですか。





