洗面台の排水口のフタが、なぜか私より先に自由になっていた日

洗面台の排水口のフタがないだけで、朝の私が少しだけ暴かれる
4月24日。
二十四節気でいうと、ちょうど穀雨のころ。
春の雨が、草木を育てる季節らしい。
たしかに最近、朝の空気が少し湿っていて、窓を開けると新緑の匂いがする。
ゴールデンウィーク前のそわそわも混じって、街全体が「もう少しで休めるよ」と言っているような気がする。
そんな朝に、私は洗面台の前で立ち尽くしていた。
理由はとても小さい。
洗面台の排水口のフタが、ない。
昨日の夜までは、たぶんあった。
いや、正直に言うと、自信はない。
私はいつも、洗面台を見ているようで見ていない。
歯を磨きながらスマホを見て、顔を洗いながら今日の服を考えて、化粧水をつけながら昨日のLINEの返事を後悔している。
洗面台は、私の顔よりも、私の雑さをよく知っている場所だと思う。
排水口のフタがないだけで、急にそこだけ生活感がむき出しになった。
小さな黒い穴。
そこに水が吸い込まれていく。
いつもは見ないふりをしていた場所が、急にこちらを見返してくる。
「ねえ、あなた、最近ちゃんと休んでる?」
そんなことを言われた気がした。
もちろん、排水口はしゃべらない。
しゃべらないけれど、黙っているものほど、たまに鋭い。
私はしゃがんで、洗面台の下を見た。
ない。
タオルの裏も見た。
ない。
洗濯機の横も見た。
ない。
なぜか綿棒が一本落ちていた。
いつの綿棒なのかは、考えないことにした。
私はこういうとき、自分の生活の小さなズボラさを責め始める。
たかが排水口のフタ。
でも、その「たかが」が積み重なって、私はときどき自分にがっかりする。
ちゃんとした大人の女性でいたい。
仕事では笑顔で、服もそれなりに整えて、誰かに会えば「しっかりしてるね」と言われる。
でも家に帰ると、洗面台の排水口のフタひとつ管理できていない。
その差に、少し笑ってしまう。
外側の私と、家の中の私。
どちらも私なのに、なぜこんなに距離があるんだろう。
小さなフタひとつで、暮らしの余白が見える
排水口のフタって、普段はほとんど主役にならない。
あって当たり前。
なくなって初めて気づく。
人間関係にも似ている。
いつも返信をくれる友達。
黙って話を聞いてくれる同僚。
何も言わずに日常を支えてくれる小さな存在。
それらは大きなドラマにはならない。
でも、なくなると急に心細い。
私は洗面台の前で、妙にしんみりしてしまった。
排水口のフタに、人生を重ねる朝。
かなり疲れているのかもしれない。
でも、こういう誰にも言えない小さな感情こそ、ブログに書きたくなる。
映えるカフェでもなく、素敵な購入品でもなく、洗面台の排水口のフタ。
たぶん誰も検索しない。
でも、誰か一人くらいは「あ、わかる」と思ってくれる気がする。
生活って、そういう小さすぎる引っかかりでできている。
排水口のフタがないことで、私は久しぶりに洗面台をちゃんと見た。
水垢。
少しだけ残った歯磨き粉。
鏡の端についた化粧水の飛び跡。
そして、置きっぱなしのヘアピン。
見たくなかったものが、見えてしまう。
でも不思議なことに、見えてしまえば、少しだけ楽になる。
「ああ、私は完璧じゃないんだな」
そう思えるから。
完璧じゃない私は、今日もちゃんと生きている。
排水口のフタをなくしても、朝ごはんは食べるし、仕事にも行くし、帰りにスーパーで安くなったヨーグルトを買う。
生活は、思ったよりしぶとい。
探し物をしている時間は、自分の本音が出やすい
探し物をしているとき、人は少しだけ素になる。
「もう、なんでないの」
「昨日の私、何してたの」
「そもそもこの家、物が多いんだよね」
最初は排水口のフタを探していたのに、だんだん人生全体に文句を言い始める。
私は洗面所の床に座り込んで、しばらくぼんやりした。
4月の終わりは、意外と心が疲れやすい。
新年度の空気に合わせて、少し無理をしていたのかもしれない。
春だから明るくしなきゃ。
新しいことを始めなきゃ。
連休前に仕事を片づけなきゃ。
そんなふうに、見えない予定に追いかけられていた。
でも、排水口のフタはそんなことを知らない。
ただ、ない。
それだけ。
なのに私は、その小さな不在に妙に救われた。
何かが足りない朝でも、一日は始まる。
整っていない部屋でも、暮らしは続く。
ちゃんとしていない自分でも、誰かに会っていい。
そう思うと、少しだけ肩の力が抜けた。
私は結局、掃除用の古い歯ブラシを出して、排水口まわりを磨いた。
フタがないから、逆に掃除しやすかった。
皮肉だけど、なくなったおかげで、今まで見て見ぬふりをしていた場所に手を伸ばせた。
人生も、たぶん似ている。
何かを失ったとき、急に見える景色がある。
失恋したあとに、自分の本音に気づく。
仕事で失敗したあとに、無理していたことに気づく。
予定がなくなった日に、本当は休みたかったことに気づく。
排水口のフタにそこまで語られても困るだろうけれど、私はわりと本気でそう思った。
そして見つかった場所が、あまりにも裏切りだった
夕方、仕事から帰ってきた。
玄関でパンプスを脱いだ瞬間、朝の排水口事件を思い出した。
そういえば、まだ見つかっていない。
私はもう一度、洗面所へ向かった。
そして、なぜか洗濯機の上に置いていたポーチを動かした。
すると、そこにあった。
排水口のフタ。
なぜ。
洗面台のものが、なぜポーチの下にいるのか。
まったく記憶がない。
でも、もっと驚いたのはそのあとだった。
フタの下に、小さな紙が挟まっていた。
レシートだった。
昨日、ドラッグストアで買ったもののレシート。
そこには、私が買った歯磨き粉と、クレンジングと、そしてもうひとつ。
「排水口ゴミ受けカバー」
そう。
私は昨日、自分で新しいカバーを買っていた。
つまり、排水口のフタはなくなったのではない。
私はたぶん、交換しようとして外した。
そして途中で別のことをして、そのまま忘れた。
朝の私は、消えたフタに人生を重ねていた。
でも真実は、ただの自分の置き忘れだった。
あまりにも私らしくて、洗面所で声を出して笑ってしまった。
ドラマチックな喪失ではなかった。
生活のミステリーでもなかった。
犯人は、昨日の私。
しかも善意で行動した私。
暮らしを整えようとした私が、暮らしを散らかしていた。
このオチ、ちょっとひどい。
でも、なんだか愛おしい。
私たちはたぶん、こんなふうに毎日を生きている。
ちゃんとしようとして失敗する。
整えようとして散らかす。
忘れた自分に呆れて、でも少し笑う。
完璧な暮らしには届かないけれど、その途中にある小さなズレが、案外いちばん人間らしいのかもしれない。
私は新しいゴミ受けカバーをつけて、古いフタをそっと戻した。
洗面台は何事もなかったような顔をしていた。
でも私は知っている。
今日の朝、私は排水口のフタに人生を教わった。
そして夕方、昨日の自分に全部ひっくり返された。
春の雨が草木を育てるように、こういう小さな恥ずかしさも、私を少しずつ育てているのだと思う。
たぶん。
いや、そう思わないとやっていられない。





